実録・戦後放送史 第96回
「大阪で朝日・毎日が競合④」
第2部 新NHKと民放の興り(昭和26年)
宿舎の新大阪ホテルに入って間もなく、新日本放送の高橋さんや朝日の平井、杉山氏らの訪問を受けた。彼らは一様に「よろしく」といい、また「夕食を」と誘われたが、公正を期さねばと、丁重に辞退してから、明日の聴聞を主宰する柴橋審理官をたずねた。
柴橋さんは聴聞の順序など詳しく説明されたあと
「このような聴聞は、本来ならば委員会みずからが行うべきと思うが、指名された以上は全力をつくして公正に扱い、後世に悔いの残らないように運びたい。
何れにしても今日までの空気からみて、両者とも真剣勝負を挑んできているので、われわれとしても、こうした空気を踏まえて適性に対処する考えだ」と、あたかも戦場におもむく古武士のような表情で語った。
翌3月16日、折り悪しく大阪は雨で寒かった。
聴聞の会場となったのは、大坂冬の陣にふさわしく、大坂城を正面にした府立大手前会館講堂であった。
正面に柴橋、西松両審理官、その左に網島電波監理委員会副委員長と岡咲恕一委員、左手にはお目付け役ともいうべきCCSのファイスナー電波法規担当官などが座った。その前にコの字形に並べられた机には、この日の利害関係者五者の代理人席(左側に朝日放送、右側に新日本放送)が向かい合って座を占めた。
定刻の午前10時、やおら柴橋審理官が立ち上がり、聴聞の主旨等を含むあいさつのあと出席者の人定尋問を行った。
五十音順に「朝日放送」が指名され、平井常次郎、杉山勝美、鈴木啓史、伊藤豊、桧原敏郎、蝶野喜代松(弁護士)、大谷茂樹、森沢明氏ら八人が次々と立って住所、氏名、職業等を型通り自己紹介。
次いで「大阪放送」側代理人の加藤隆平、佐竹毅氏、「昭和放送」の土山牧恙、於勢茂、加山宏啓氏。「新日本放送」は立花章、高橋信三、小谷正一、須永浩夫の4氏。最後に「ラジオ大阪」の工藤寿男氏の順で、それぞれ身分を明らかにしたあと、50音順で代理人の陳述が始まった。
まず起ち上がったのは朝日放送の杉山氏である。
杉山氏は「朝日放送が他の申請者よりも、いかに優位であるか立証したい」と前置きして、資本金の比較を持ち出した。即ち新日本放送が8千万円であるのに朝日放送は1億円である。
それも新日本側の不信行為で徒らに時間を空費しながら僅か1週間でこれを集めたことは、いかに各方面の支持を得ているかの証拠である、とまず皮肉たっぷりに発言したあと、
①新日本の給与ベースより当方が高い、それだけ人材を多く集められる
②新日本は借入金が多く利子も高い。
これでは健全経営とはいえないし、計算根拠である収入面でも、初年度から黒字を計上していることは、経済の実情を知らぬ机上の空論である、ときめつけたほか、各論にわたって新日本側から提出した準備書面を駁撃していった。
まさに罵詈雑言のかぎりをつくすといった陳述だった。
(第97回に続く)
阿川 秀雄

阿川 秀雄
1917年(大正6年)~2005年(平成17年)
昭和11年早稲田大学中退、同年3月、時事新報社入社、以後、中国新聞社、毎日新聞社等を経て通信文化新報編集局次長。昭和25年5月電波タイムス社創立。
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