実録・戦後放送史- 電波取材に生涯を捧げた 記者・阿川秀雄の記録 -


実録・戦後放送史 第110回

テレビ標準方式を巡るメガ論争③

第3部 テレビ放送波乱の幕開け(昭和27年)

 白黒式テレビジョン放送の送信の「標準方式」を爼上にした聴聞(メガ論争)の火ぶたが切られたのは、昭和27年1月17日午前10時のことだった。

 場所は東京・青山の電波監理委員会庁舎である。肌寒い朝だというのに、狭い庁舎の中庭には、詰めかけた利害関係者や報道陣の車でごった返し、会場内も熱気でムンムンしていた。

 聴聞に招かれて出席した顔ぶれも豪華であった。いわば各界の名士が揃ったといえるほどだったからだ。出席者を50音順に紹介すると、まず利害関係者として日本テレビジョン放送協会、神戸工業(現富士通テンの前身)、全日本放送、東芝、日本コロムビア、日本テレビ放送網、日本電気、日本ビクター、NHK、松下電器の各社から36名。

 また利害関係者からの申請による参考人として島茂雄(NHK技研音響研究部長)、鈴木平(工業技術庁標準部長)、玉置敬三(通産省通商機械局長)、千葉茂太郎(法政大学教授)、堀井隆(静岡大学教授)、八木秀次(日本学術会議会員)の六氏が出席した。

 電波監理委員会側からの出席は岡咲副委員長、網島、坂本、抜山の四委員、長谷電波監理長官以下11名だった。

 聴聞開始にあたって柴橋国隆主任審理官は次のようなあいさつをした。

 「今回の聴間は白黒式テレビ放送に関する送信の標準方式(案)について、電波法第八十三条の規定により行うものであるが、事案として掲げられた標準方式が、法律的にどういう性格をもつものか、電波法令の本来の中ではどういう地位を占めるものか、これらの点は後ほど委員会側の明確な説明を求めるつもりである。

 テレビ放送に関する標準方式は、申すまでもなくわが国においてテレビ放送を実施するに当たり解決しなければならぬいろいろな問題の一部分でありまして、本来ならばこれらの諸問題を同時に決定すべきと思われるのであるが、その他の問題、たとえばテレビ放送はわが国現在の国民経済下においていかにあるべきか、その国際性はどうか、技術的条件はどうなっているのか、またその経営形態はどうかというような問題については、目下委員会で検討中であるやに聞いているので、今回はひとまず提案された標準方式について、技術的あるいは経済的見地から審理を行うこととした」

  
 冒頭から柴橋さんはこのように含みのある発言をした。柴橋さんの言わんとするところは、技術的条件のみを審議するのではなく、むしろ「免許とその事業主体」に問題があるという意味をふくめ、経済問題も総括して行うところに意義がある、ととれる発言だった。

(第111回に続く) 

阿川 秀雄

阿川 秀雄

1917年(大正6年)~2005年(平成17年)

昭和11年早稲田大学中退、同年3月、時事新報社入社、以後、中国新聞社、毎日新聞社等を経て通信文化新報編集局次長。昭和25年5月電波タイムス社創立。

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