【放送ルネサンス】第48回:花岡 克己さん(花岡無線電機代表取締役社長)
花岡無線電機代表取締役社長
花岡 克己 さん
花岡 克己(はなおか・かつみ)1980年生まれ。東京都出身。 2004年4月に花岡無線電機入社。2007年7月に取締役就任。2010年9月に代表取締役社長に就任し、現在に至る。
花岡 克己さん インタビュー
花岡無線電機の100年の歩みと、放送機器とともにあった時代
Contents
- 1 ―花岡無線電機は、1925年に創業し今年が100周年。創業当初より、放送と深く関わってきた同社が放送機器分野で果たしてきた役割や、特に印象に残っている時代・製品について聞きたい
- 2 ―ご自身と放送の関わりについて。ご自身にとってテレビはどういう存在だったか
- 3 ―技術やニーズの変化をどのように感じてきたか。
- 4 ―大切にしてきた花岡無線電機の「変わらない価値観」は
- 5 ―インターネット全盛の時代にあっても、花岡無線電機は放送機器という専門分野に取り組み続けている。社長として、今なお放送分野に可能性や魅力を感じている点を聞きたい
- 6 ―テレビの影響力について考えは
- 7 ―花岡無線電機が主催している音楽ライブや、「Inter BEE」に出展した際のラジオスタジオなど、「音を体験として届ける」取り組みがとても印象的だ。こうした活動に込めた想いや背景を聞きたい
- 8 ―今年、放送が100年を迎えた。この節目に、放送という存在や文化について、何か感じていることは。企業として、放送文化をどのように未来へ伝えていきたいか
- 9 ―テレビ放送を見ない若い人が増え、放送局もネットにシフトしてきている。こうした現状について、放送にこれまで長年携わってきた立場から感じていることは
- 10 ―100年企業としての経験と視点から、これからの放送業界に期待すること、あるいは放送インフラを支える立場として「こうなってほしい」と願うことは
―花岡無線電機は、1925年に創業し今年が100周年。創業当初より、放送と深く関わってきた同社が放送機器分野で果たしてきた役割や、特に印象に残っている時代・製品について聞きたい
当社はNHKのラジオ試験放送が始まったタイミングにスタートした。そこから多くの放送局向けに音声設備を手がけて、日本の放送と共に歩んできた。特に、ラジオ放送の開始から、戦後のテレビ放送、FM放送が普及する時代に、スタジオの音声設備や調整卓、通話装置などを自社で開発し、放送の現場を支える役割を担ってきた。
印象に残っている製品でいうと、1986年の大型音楽番組用のオートメーションコンソールがひとつ挙げられる。アナログの時代からデジタル制御が始まってきた頃で、デジタルでコンピューターを使って制御するのが徐々に出てきた時の音声卓だ。フェーダーやスイッチがずらっと並ぶ姿は壮観で、当時の技術力の高さを感じる。どの時代も、私たちの製品は〝確実な放送を支える縁の下の力持ち〟として、長く現場で使っていただいてきた。

花岡無線電機の放送用機器、これまで7000機種以上のカスタム製品
―ご自身と放送の関わりについて。ご自身にとってテレビはどういう存在だったか
物心ついた時から当たり前のようにテレビがあった。ただ、各部屋に一台ずつあるのではないので、幼いころに祖父と7時のNHKニュースと子供向け番組でのチャンネル争いをした覚えがある。放送機器の会社だったので、一般家庭にテレビが普及する前からあった。2023年のテレビ70年記念のNHKの特番の時に、テレビがある家庭の映像として、花岡家の家族が自宅でテレビを見ているシーンが紹介された。
時代とともに変化する放送技術とニーズへの対応
―技術やニーズの変化をどのように感じてきたか。
放送の世界は、アナログからデジタルへ、そして今ではIP化の時代へと大きく変わってきた。その中で、花岡無線電機は、当初から今もオーダーメイドでモノづくりを続けてきた。昔からお客様の思いを形にすることを第一に考えてきた。新製品をつくったので〝はい、どうぞ〟ではなくて、〝こういうものを作れませんか〟というお客様のニーズを受けて、長年、一緒にモノづくりをしてきた。ほとんどがオーダーメイドやカスタマイズの一品物で、現場ごとの要望を細かく形にしてきたのが私たちの強みだ。いままで7000機種以上の製品を開発してきた。オーダーメイドの一点物のこだわりは百年変わらない。
そして、製品開発から設置、保守、メンテナンスまで全て自社で行っている。今は、〝有り物〟でシステムを構築するのが多くなっている。放送局の技術に入社した方は、有り物ではなくオーダーメイドでこの製品ができていることを知らない方もいる。そういう方に全部カスタマイズで作れる、フレキシブルにできることを伝えていきたいと思う。新しく担当になってスタジオ更新で困っている、設備更新の時期が来ているのに前の担当者がいなくてどこから手をつければいいかわからない、音声設備に詳しい人が不在で相談できる人がいないといったお客様向けに〝何かあったら相談してください〟というきめ細かい活動が顧客満足度向上につながると考えている。
―大切にしてきた花岡無線電機の「変わらない価値観」は
当社は一点物を提供するという思いを伝え続けていきたいと考えている。そして高音質、高信頼性、耐久性が高いモノづくりで、生放送で使える品質を保ってきた。創業からずっと変わらないのは「音の品質と信頼性」。〝確実に音を届ける〟ことを大切にして、現場の方が安心して使ってもらえる製品づくりだ。一品物には〝使う人の想いが反映された良さ〟がある。価格だけでは測れない価値を、これからも伝えていきたい。それが一番の使命だと思っている。
〝放送〟にこだわり続ける理由とは
―インターネット全盛の時代にあっても、花岡無線電機は放送機器という専門分野に取り組み続けている。社長として、今なお放送分野に可能性や魅力を感じている点を聞きたい
今はインターネットや動画配信が増えている時代だが、放送の持つ「公共性」や「即時性」には、今も変わらない価値があると思っている。災害時の情報伝達、地域をつなぐラジオ、文化を広げるテレビ、どれも人と社会、地域をつなぐ大切な役割を担っている。災害が発生した際の情報収集に関しては、ラジオの活用は見直されており、ラジオの聴ける端末さえあれば、インターネットの回線がダウンしていようとも聴ける。あるいはスポーツ中継、国会中継といった生放送は放送の醍醐味である。スポーツで結果が出たものを後で見ても生放送との〝熱量〟が違う。災害時の情報収集におけるリアルタイムで見られるのが放送の強みだ。だから、当社はライブでの「音の品質と信頼性」にこだわってきた。私たちは、その〝音を届ける仕組み〟を支える立場として、放送という社会インフラを守る責任を感じている。放送は決して古いものではなく、今も進化を続けている「文化」だと思う。
―テレビの影響力について考えは
テレビからの情報は信頼性がある。今はネット配信やSNSで誰でも情報が流せる時代。しかし、公共の電波に乗ってテレビやラジオ放送される情報は、この人を出してもいいのかどうか、この情報を発信してもいいのかどうか、ある程度フィルターを通って流されている。両者の流す情報は公共性という観点で全く違う。放送は、人と社会をつなぐ大きな役割を担っている。ネット配信やSNSでこう言っていたからといって、その情報を鵜呑みにする人はあまりいない。放送のニュースの情報を信頼性の高いものとして認識している。ちゃんと放送局として可否を出して放送しているから信頼される公共メディアとなっている。花岡無線電機はその放送の音を届ける仕組みを支えている。責任を持ってインフラを支えている。

〝音〟を通じた体験や文化の継承について
―花岡無線電機が主催している音楽ライブや、「Inter BEE」に出展した際のラジオスタジオなど、「音を体験として届ける」取り組みがとても印象的だ。こうした活動に込めた想いや背景を聞きたい
放送機器メーカーとして、単にハードを作るだけでなく、〝音を体験する文化〟そのものを次の世代に伝えたいと思っている。「Inter BEE」ではラジオスタジオ風のブースをつくり、トークショーを行ったり、製品説明を行ったり、来場者の方に「声を届ける」体験をしてもらえるようにしている。新製品が毎年発表できない時に、どうしたら見に来てくれるか、興味を持ってくれるかと思った時にアイデアとして浮かんだのが製品を試すことができるラジオスタジオだった。〝声を届けて、そして何かやっているな、その製品いいなと気づいてもらえる〟その成果は満足いくものだった。
今年は、花岡無線電機100周年を記念して音楽イベント「Sound Letter 2025」を開催した。音の楽しさや、人と人をつなぐ力を、世代を超えて共有したいという気持ちが込められたものだ。音楽の楽しさや、人と人をつなぐというところを様々な方々に楽しんでもらえたらという思いだ。放送も音楽も、結局のところ〝届ける人と受け取る人〟の間に生まれる温かい関係性こそが本質だと思う。音をつなぎ音を伝えるメーカーとして、ハードウェアを作っているがそれだけではなくて、そこに喋り手さんであったり、音楽であったり、ソフト面がないとハードウェアだけあっても〝音を体験する文化〟は生まれない。
放送100年に思うこと、そしてこれからの〝放送文化〟
―今年、放送が100年を迎えた。この節目に、放送という存在や文化について、何か感じていることは。企業として、放送文化をどのように未来へ伝えていきたいか
放送が100年続いたというのは、技術だけでなく「音と映像で社会をつなぐ文化」が受け継がれてきた証だと思う。例えば、関東大震災の東京の映像がAIによってフルカラー動画で再現されていた。当時の映像が鮮明にその場にいるぐらいの迫力あるカラーで見られるのは、放送局でいろいろアーカイブ映像が残されているということ。そこを遡って見られるのは放送ならではで、今の最新技術で、カラーにもなるし、音も鮮明になるというのは、元の素材がないとできない。ネット配信やSNSとか個人でアップしているものは、その時あげて終わり。その人が消したら、もう見られない。放送のアーカイブ映像は、未来に向けて〝昔はこうだった〟と伝えるための一種のインプット情報だと感じる。未来につないでいく文化ということで放送文化は必要だ。〝音と映像で社会をつなぐ文化〟であるとともに〝過去と未来をつなぐ文化〟でもある。
私たちはその文化を支える「音の品質」を守ることで、放送の歴史の一部を担ってきたと感じている。花岡無線電機としては、放送局だけでなく、ライブやエンターテインメント、配信、教育、そして工場など、音を扱うあらゆる現場で技術を活かし、〝放送の精神〟を未来につなげていきたい。
若い世代に〝放送〟を届ける工夫と挑戦
―テレビ放送を見ない若い人が増え、放送局もネットにシフトしてきている。こうした現状について、放送にこれまで長年携わってきた立場から感じていることは
最近、「テレビを見ない若者が増えた」といわれているが、リアルタイムで見ていないだけ。見る端末がテレビからスマートフォンに変わり、送信手段が電波からネットに変わっただけ。テレビの受像機で見ているのか、スマホで見ているのか、パソコンで見ているのかというだけで、放送の括りが曖昧になっている。「テレビ受像機を見ない若者が増えた」としないと。放送の価値そのものがなくなったわけではない。〝音を通して人と人がつながる〟という本質は今も同じだ。
次の100年に向けて、技術者・企業として放送に望むこと
―100年企業としての経験と視点から、これからの放送業界に期待すること、あるいは放送インフラを支える立場として「こうなってほしい」と願うことは
これからの放送が社会から信頼され続けるためには、「品質」「信頼」「継続性」の3つが欠かせない。技術的にはIP化やクラウド化が進むが、私たちは〝音の安定性・低遅延・確実な伝送〟という最後の砦を守る存在でありたいと思う。
そして、次の世代を担う若い技術者を育て、放送の魅力を伝えていくことも大切だ。花岡無線電機は、100年の歴史で培った技術と現場の知恵を活かし、次の100年も「音のコンシェルジュ」として、放送の未来を支え続けていきたいと思う。
具体的には、冒頭で話したオーダーメイドに徹すること。カスタマイズ化で顧客満足度を高めるということ。お客様が製品選定でどんなニーズがあって、どういう製品を作ってほしいのか、コンシェルジュに頼んでもらえば〝こういうことができます〟とお客様の希望を受け、提案していくことが重要だ。音声技術に配属されたばかりでわからない、資料がこれしかないがどうやって更新したらいいのか、といったお困りに対して当社にお声がけいただければ〝それではこうしたらいいのではないですか〟とお答えする相談窓口になれたらいいと思っている。人員が少ない中、放送業務を動かしていく時に、私どものノウハウを利用して頂いて〝一緒に考える〟ところからお手伝いさせて頂ければと思う。そういうサポートの仕方が今こそ求められている。メーカーというよりは、「音のコンシェルジュ」としてのトータルサービス業に近くなってきている。

昭和61年製の大型音楽番組対応のオートメーションコンソール「HAC-8019」
この記事を書いた記者
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営業企画部
営業記者 兼 Web担当
新しいもの好き。
千葉ロッテマリーンズの応援に熱を注ぐ。
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(敬称略:あいうえお順)