【3.11いのちを守る】フォーラムエイト、国土強靭化で今村教授講演

 フォーラムエイト(東京都港区、伊藤裕二代表取締役社長)は、3月5日に盛岡グランドホテル(岩手県盛岡市)で、「FORUM8 地方創生・国土強靭化セミナー」=写真=を開催した。同社は、2019年より、全国の中核都市において同セミナーを毎年開催し、各自治体におけるインフラ整備へのデジタル化推進を支援している。「サスティナブルな社会、新しい地方経済生活環境創生へ」をテーマに、有識者による講演と併せて、設計・解析、3DVRなど、新しい地方経済・生活環境創生を後押しする同社の最新技術・ソリューションを提案している。
 冒頭、「フォーラムエイトの最近の活動」を伊藤社長が話した。
 続いて、「岩手におけるDX、地方創生、国土強靭化に関する取り組みと今後の展望」と題して、東北大学災害科学国際研究所教授、副学長(社会連携・校友会・基金担当)の今村文彦氏が講演した。
 今村氏は、東北大学で津波工学を専門とし、津波の数値シミュレーションやリアルタイム津波警報システムの研究など災害科学分野において長年研究に取り組んできた。東北大学災害科学国際研究所では研究・教育活動をけん引し、同氏は2014年から2023年まで同研究所の所長を務めた。東日本大震災以降は、政府や中央防災会議等の委員として防災・減災政策に参画し、わが国の防災体制の強化に貢献している。
 今村氏の講演要旨は次の通り。
 東日本大震災の発生から3月11日で15年経つ。本日は15年前を振り返りながら、今、我々はどのような備えができているのか、また将来についてお話しする。皆さんと安心で安全な地域づくりに取り組めればと思っている。
 改めて東日本大震災とは何か。過去に経験の無い大災害であり、地震、津波の被害に加えて、原発事故が発生したという複合災害である。
 当時の記録、様々な資料、写真等があるが、我々頭の中で記憶に残す時には限られたキーワードであったり、映像であったり、また色に例えたイメージも非常に重要になってくる。
 1923年の関東大震災は、地震の後の火災で残された絵図で見られる赤い色のイメージ。地震ではないが1959年の伊勢湾台風は高潮浸水なので、水色。では3.11はどんな色であったのか。講演会や講義の中で皆さんに聞くと様々な回答がある。例えば津波が引いた後の枯れ木の色など様々な回答をいただくが特にこれといったものが無い。原発事故は色も匂いもなく色のイメージが無い。ないない尽くしであり、東日本大震災は多面的災害、複合災害であったといえる。ただ、わが国にいる限りはこの複合災害は将来無いとはいえない。
 発生は2011年3月11日午後2時46分。地震規模はマグニチュード9.0。1900年以降世界で4番目。岩手の地におられた皆さんも、あの揺れはすごかったと記憶されているだろう。最初の1分がすごかったが第2段階で2分以上揺れていた。この巨大地震は過去形ではない。まだ余震、誘発地震が続いている。割れ残ったエネルギーの部分だったり、バランスが崩れて誘発されている。22年の3月16日の福島県沖地震は、マグニチュード7.4でかなり大きかった。東北新幹線脱線事故も発生した。揺れによって新幹線の車両自体が持ち上がってドンと落ちた。過去5年間でみても北海道から東北の太平洋沖側では東日本大震災の余震、再発地震が頻繁に起きている。わが国は、地震を中心とした災害を忘れてはいけない。まだまだ現在進行形であることを忘れてはいけない。
 2024年1月1日16時10分に発生した能登半島地震のキーワードも複合災害である。揺れの後の土砂災害、液状化、津波等があった。少子高齢化であり、インフラが脆弱なために、道路も建物も本来使えるはずの福祉施設とか、また学校が使えない。広域避難したため、いまだに復旧復興に時間がかかっている。3.11の経験を踏まえても残念ながら難しい状況が続いていると思う。
 青森県東方沖地震は、2025年12月8日に発生した。3.11で割れ残った地域であって、ほんとうに次への備えが必要なところで、切迫性がある地域になる。この地震の後、「北海道・三陸沖後発地震注意情報」が出された。聞き慣れないものだが、重要な情報である。これは「青森県東方沖地震の発生により、北海道の根室沖から東北地方の三陸沖にかけての巨大地震の想定震源域では、新たな大規模地震の発生可能性が平常時に比べて相対的に高まっていると考えられる。今後、もし大規模地震が発生すると、巨大な津波が到達したり、強い揺れとなる可能性がある」というものだ。
 東日本大震災でも本震の前に比較的多くの地震が発生した。大きかったものは、2011年3月9日に発生した三陸沖のマグニチュード7.3の地震だが、そのほかでも津波注意報が出たものもあって、前震において学校で企業でその時、点検をしたり、次への備えということで確認もしていたが、その後の3.11はほんとうに想定以上のものだったので、次への備えということでは3.9を忘れないということだ。3.9に何ができたのか、できなかったのか、これを思い出して確認いただいて、次への備えにしていただく。青森では寒さ厳しい中、情報がまだ乏しい中、避難先では厳しい状況があった。避難に関してもまだまだ課題が残っている。今回の「新たな大規模地震の発生可能性が平常時に比べて相対的に高まっている」というのは科学的には正確だが分かりにくい。次への備えという点で、もっと皆さんに伝わる言葉があるのではと思う。
 3.11の地震の揺れで直後に津波警報が出た。地震発生3分後に津波警報、その後に避難指示等の発令があった。到達時間は三陸沿岸に20~30分後で、6時間で7回の津波が来襲した。1日以上の継続時間でその間、警報・注意報は解除されなかった。岩手の方は警報注意報の中で避難行動を取られたと思うが、宮城、福島は過去の経験・記憶であったり、それまでの教育ですぐの避難行動がなかなか難しかった。一定の避難猶予時間があったが、津波の第一報が過小評価であったから遅れてしまった。
 さらに避難行動を始めたにも関わらず、犠牲になった方が多数いる。なぜか。避難に車を使ってしまった。避難場所に向かったが渋滞が起こった。校庭などは車がいっぱいで入れなかった。さらに言うと、計画していた避難場所が津波によって飲み込まれてしまった。想定を上回る状況であった。
 当時どういう津波が来たのか。地震発生後、津波の第一波が三陸沖に到達した。そしてひき波の後におし波が来た。三陸海岸は地形上、津波を大きくさせる特性を持っている。過去の津波被害の慶長、慶応、明治の時と同様。福島、仙台に関しては1時間後に来た。津波の規模は小さかったが、事前の備えが十分ではなかった。防潮堤ももちろん低かった。また、避難計画も十分ではなかった。
 当時も今も、津波警報・注意報は津波予報データベースに基づいて、何万ケースものシナリオに基づいたものだ。起きた地震に対して、津波到達時間、高さを瞬時に出してくれる。大きく言うと、大津波レベル、津波警報レベル、津波注意報レベルの3つに分かれる。今、三陸沿岸部は防潮堤が整備されているので、注意報レベルでは避難行動が原則的には必要無い。もちろん浜にいる時、河川にいる時には行動が必要だ。警報から大津波警報レベルになると、今の堤防を超える場合がある。3.11の最初の地震規模は速報ベースで実際より少なかった。なぜ違うかというと、当時の地震は3分間揺れていたが、最初の部分だけで地震の規模を推定した。もうそうせざるを得なかった。早い時間で地震の規模を推定しないと津波警報が間に合わない。過去でいうと、これで十分だった。ところが、3.11は異例だった。全体のエネルギーとして後半の方が大きかった。その結果、津波の高さも過小評価になった。当時から津波そのものを、沖合に設置したブイにあるGPSセンサーが海面の動きをリアルタイムに捉えていた。岩手の中部沖側では、引き波の後に6メートル以上の津波が捉えられた。これを気象庁の担当者が分かって、このデータを使ってマグニチュードは変わっていないが3時14分に津波規模の変更があった。その後、どんどん情報がリアルタイムで得られてアップデートした。しかしながら、この時にはもう津波が来ていた。
 東日本大震災での教訓は「災害情報にはトレードオフがある」ということだ。即時に起きたものに関しては、どうしても不確実だったり、精度としては厳しい。避難行動をする、いろいろな対応をするのに躊躇するケースもある。時間が経てば経つほど解析が進んだり、観測データが得られるのでそれだけ正確になって、当初の発表より地震規模がかなり大きいとなって、確実に避難行動をとる。相反する相容れない関係がある。
 我々はどうしたらいいのか。なかなか完璧な回答はない。早い段階で不確実なものに対して我々は何ができるのかだ。例えばとにかく家の外に出るようにしておくとか、とりあえず避難場所に向かう。いやいや、まずは情報を得て宅内で確認しようと。事前でしっかりした作戦がなければいけない。個人レベルから地域レベル、公的レベルまで、いろいろなシナリオに応じて行動を確認しておくことが大切になる。これは台風情報も洪水情報も火山情報も同じである。必ず災害情報にはトレードオフがあるので、これを踏まえて皆さん、備えていただきたい。
 皆さんに伝えたいのは、複合災害は連鎖して起こるということ。揺れの後に津波、液状化、土砂災害、原発事故等が起きて、それが浸水であったり、火災であったり外力として我々に被害をもたらす。これは必ず時間ごとにプロセスがあって、時間によって2次災害、3次災害が起きる。その時、我々は災害発生後であってもできることが必ずある。いちばん代表的なのが津波からの避難だ。これは個人から地域からできる。また、火災に対しては初期消火である。津波火災というのは様々な原因で起きるので、完全に防ぐことはできない。しかし、小さな火種の時に早く消火できれば拡大しない。大きな津波火災は、半日後だったり、一日後。時間が経って拡大していく。初期消火の対応も知ってほしい。気仙沼では直接、津波による火災原因のものもあったが、燃料タンクが流されてそこから油などが流出した。しかも夜間で被害が拡大した。
 3.11の特徴としては黒い津波がある。宮古では逆流した津波が河川堤防を乗り越えた。もう波ではない。洪水でしかも真っ黒だった。地域によっては沿岸部は、生活排水によってヘドロや砂が溜まっている、もう人口密集地はしょうがないが、それを津波によって巻き上げてしまう。これは粘性があるので、津波の波形を壁のようにして、段波で波の力を大きくさせてしまう。黒い津波の中には有害物質も含まれている。土砂を巻き上げるというのは、3.11で改めて知った。過去には地形が変わった、堆積物があった、浸水深があったのは分かっていたが、その影響の大きさ、検証するデータはなかった。我々は3.11で初めて、シミュレーションの中でその黒い津波を再現できた。陸前高田では、松林を越えた津波が砂丘を越え、土砂を巻き上げ、シミュレーション上で色は茶色から黒になっている。市街地を飲み込んでしまい、台地は完全に浸水して、その後何が起きるかというと引き波。この引き波が強く、押し波も広範囲だったが、半島の先で土砂を巻き上げた渦を形成した引き波が当時あったと判断された。住民の方もこの引き波で土砂と一緒に沖に流されてしまった。それで今だ行方不明の方が多いのではと推察される。
 今後の南海トラフ地震も同様な被害が起きるとされている。南海トラフも最大予想がマグニチュード9で同じだが南海トラフの方が厳しい。なぜかというと、地震の起きる揺れるエリアが沿岸部に近いからだ。三陸の場合は震源から150㌔㍍離れていたが揺れが強かった。南海トラフは直下型と巨大なものが合わさってしまう。津波も数分で来る。液状化もある都市型災害で、これは国難。我々は 3.11を経験をしたので、それに対してやっぱり何らかの貢献支援をすること、これは義務である。
 ぜひ皆さんの経験や体験を南海トラフに向けて語っていただきたい、伝えていただきたい。南海トラフはまだまだ多くの皆さんにリアル感がない。防災レベルは上がっているが、もう一歩少ない、足りない。もう一歩自らが動かなければいけない。それをぜひ皆さんにお願いしたい。
 都市型災害について。津波から避難する場合は基本的に海から離れるといわれているが、都市域は違うケースがある。陸側から来る場合がある。例えばマンホールから逆流する場合があって、安全な避難経路が都市域では重要な課題になっている。建物と建物の間を集中する津波というのは、縮流という言葉で専門の用語があって、狭いところに集中する。場合によっては斜流になる。ものすごいスピードになって、いろいろな方向から合流されるので、そこで激流になる、そこに漂流物が入ってくる。
 津波の浸水で流れの強さ、破壊力に注視することが大事だ。都市を巻き込み、浸食であったり堆積して、最後は津波でも火災が大きいということだ。400平方キロメートルを超える広域災害は9割が津波が要因だ。都市部では家屋だけでなく学校、交通インフラ等の被害があって漂流物も複合災害になる。女川の建物被害では4階建ての建物が転倒しているだけで壁も窓も壊れていないが内部はなにも無いものがある。それは建物の基礎部分、本来あった基礎部位が揺れと液状化と津波の複合作用によって折れてしまった。建物自体が健全だということは、津波が来て中が空洞なので浮力が働いてこのような状況になった。これが複合外力、複合被害で、これも調査の中で分かってきた。
 我々は、防災訓練、避難訓練から防潮堤整備や耐震化、関係機関との防災協定も進んでいた。緊急の対応はできたかと思っていたが、できなかったこともあった。津波の避難であったり、先ほどの二次災害の対応だ。そのために、我々は改めて全国の方々に、こういう経験を踏まえて、ぜひ事前に復旧から復興まで考えてください、計画をしてくださいとお願いをしている。大切なのは、自助、共助、公助が基本だが、大切なのは産業、科学技術の力であり、民間の会社の力だと思う。産業・民間のチカラが不可欠だ。これがない限りは、3つの力を活かすことができない。
 「復興構想7原則」がある。東日本大震災からの復興に向けた基本的な考え方を示すもので、2011年5月10日に東日本大震災復興構想会議によって決定された。この原則は、震災の教訓を未来に伝え、地域主体の復興、技術革新を伴う再生、災害に強いまちづくり、日本全体の再生との同時進行、原発被災地への配慮、そして国民全体の連帯を重視している。第一原則は「復興の原点(追悼と鎮魂)と教訓の伝承・発信」である。何と言っても教訓、経験をきちんと伝承しなさい、それを発信しなさいということだ。その場として既に遺構や伝承館もあるがしかし、伝えきれているのか。皆さんに来ていただいているのか。我々はどう15年間の進歩を伝えられているのか。まさに発信というところでもう一度見直さなければいけないと思っている。
 我々は、創造的復興を目指している。復旧の次のステップは復興。新たな知見、新たな安全でまちづくりをしようとしている。創造的復興は次への備えである。
 テクノロジーの話をしたいと思う。ひとつは予測検知。2つ目は知らせる技術。3つ目が行動を促す。最後が避難場所などで支援者の方を支える技術ということである。昨年の7月30日、カムチャツカ半島沖で地震があり、日本でも津波が発生した。遠地津波で日本は揺れがない。皆さんも津波注意情報、後で警報になったがその情報を受け取って「おやっ」と思ったのでは。揺れなかったのに、今日訓練だった?と。先ほど紹介したように気象庁はデータベースで遠いところの津波でも津波の到達時間、高さ等を割り出す。それで津波警報を出した。ただ、なかなか避難行動が取りにくかったようだ。あの時も一日近く避難せざるを得なかった。以前はあまり情報がないまま避難してください、続けてくださいというのは実際難しかった。今は津波の詳細な情報が受け取れる。リアルタイムで気象庁や国土地理院のホームページ上で見られる。こういうバックグラウンド情報も、きちんと周知をしていかなければいけない。
 知らせる技術では、例えば仙台市では津波避難広報ドローン事業を行っている。津波警報、津波注意報に連動して自動でドローンを飛行させ避難広報や現場映像での監視を行う。沿岸部を警備する。
  3.11では車の渋滞が起こった。青森の時にも渋滞だった。確かに車は便利で真冬もカーエアコンがある。テレビもカーナビもある。いろいろ利点があるが渋滞を起こしやすい。同時に皆さん使ってしまう。しっかり渋滞情報やそれを回避する情報を知らせることも重要視したい。車は優先利用者、高齢の方、徒歩が困難な方に使っていただく。こういったことは事前からリアルな段階で打ち出すことが必要だ。
 関東大震災が百年前にあった。直下型地震は、それより短いスパンである。今後発生する可能性が70%という数字が出ている。東京の真下はいかに地震が発生しやすいか。我々が住んでいるところは太平洋プレートが沈み込んで、その上にある。それだけでも地震等が起きているが、東京はどういうところかというと、北米プレートが陸側、フィリピン海プレートが南側で沈み込んでいる。さらに東側から太平洋プレートもこの下に沈み込んでいる。三層構造になる。プレート境界型地震もプレート内地震もあってこれだけ地震が発生する可能性があるエリアなのだ。ただ、自然のリスクが高いイコール被害が甚大ではない。しっかり対策をすれば、被害は軽減できる。なのにまだ都民の方はリアル感がない。ここは改めて企業の役割というのがあるかと思う。防災(総務の仕事)から事業継続(経営課題)の考え方にシフトしてほしい。防災が総務の担当であった会社であったら、事業継続のための経営のトップの課題として捉えてほしい。もっとプライオリティを上げて事前にやるべきものはたくさんある。
 最後に、災害は必ず繰り返すので、事前の対応の必要性、そして減災という面では、起きた後も、いろいろな連鎖を起こさない対応が重要である。切迫性・甚大性・広域性の国内災害は、すでにある程度の予測、さらに被害評価もされている。ただ、地球のシステムとして災害は繰り返す。今以上に自助・共助・公助に加えて、企業のチカラが必要であると考えている。

この記事を書いた記者

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田畑広実
元「日本工業新聞」産業部記者。主な担当は情報通信、ケーブルテレビ。鉄道オタク。長野県上田市出身。