放送100年記念講演会を開催 横須賀リサーチパーク主催 100年間の放送の歩みと未来の展望を考察

 日本国内の放送開始から2025年3月で100年の節目を迎えた。横須賀リサーチパーク(YRP)ではこれを記念して2025年12月12日(金)、神奈川県横須賀市光の丘の同パーク内YRPセンター1番館で、NHK放送博物館元館長の川村誠氏と、ニッポン放送オールナイトニッポンパーソナリティの高嶋ひでたけ氏を講師に招いた「放送100年記念講演会」を開催した。会場には事前応募で参加した163人が集まり、両氏の講演やパネルディスカッション、トークタイムを通じて放送開始から100年に思いを馳せた。
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 日本の放送は関東大震災の発生から約一年半後の1925年3月22日、NHKの前身である社団法人東京放送局が東京・芝浦の小さなスタジオからラジオによって「JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります」の第一声とともに始まったとされている。その後、1953年2月にはテレビ放送が始まり、モノクロからカラー、衛星放送や地上デジタル放送といった様々な技術の転換期を迎えながら放送文化は発達してきた。
 主催者を代表して、YRPの鈴木茂樹社長は「放送が始まる前、ペリーが浦賀にやってきたときの献上品に電信機があった。それを機にイタリアのマルコーニ社に無線機を求めたが売ってくれなかったため、自ら無線機を開発して海軍の軍艦につけて、日露戦争ではロシアのバルチック艦隊を発見して『敵艦みゆ』と打電したことが東郷平八郎の日本海海戦での大勝利につながったとされる。そこから真空管の製造で東芝が工場を作るなど発展し、携帯電話の時代になり無線の研究拠点としてこのYRPができた。当時紙のメディアしかないところから、初めて一般が触れられる電波放送が始まった。白黒テレビや皇太子ご成婚、第一回東京五輪からカラーテレビとメディアは進歩してきたが、私はまだラジオを聞く世代。講演を通じて昔を懐かしむと共に音声による情報の伝達がこれからどうなるかを考えて欲しい。私は存在意義を変えながら重要なメディアとして残っていくと思う」と話した。

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 記念講演の第一部では、NHK放送博物館元館長の川村誠氏が「放送の100年とこれからのメディアの100年」と題して講演した。
 放送博物館は、放送開始30周年を機に愛宕山の旧東京放送局施設を基として1956年3月に世界で初めての放送専門の博物館として建てられた。ラジオ放送開始から8K放送・ネット常時同時放送まで、日本の放送の歴史を伝える資料や機器等約三万点を収蔵しているとされており、放送90年に合わせた大規模リニューアルを経て2017年には入館500万人を達成した。
 川村氏は、放送開始から放送法に基づく公共放送としてのNHK発足、テレビ放送開始からカラーテレビ、完全デジタル化、インターネットによる常時同時配信「NHK+(プラス)」、放送法改正に伴うネット業務サービス「NHKONE」までの歴史の流れを紹介。放送を取り巻く環境変化として、ネット化による情報流通形態の変容とSNSの普及によるテレビ離れの拡大、動画配信サービス普及、携帯デバイスによる視聴画面のミニマム化等について、NHK放送文化研究所やICT総研による動向調査を基に解説し、「Z世代はテレビの概念が必要とされない時代に育っている。この世代を相手にどう対応するか考えないといけない」と指摘。一方で、映像メディアに比べてradiko等音声メディアが再評価されていることから「音声メディアは可能性を残している」と話した。
 またSNSの普及でメディアはマスからニッチに移行しているとして、「政治家はSNSで一方的に情報を発信し、放送はそれらネット情報の再送信という役割になりかねない。そうなると放送はいらないという考え方にもつながり、危うい状態だと危惧している」と懸念した。
 今後の放送事業について、装置産業としての放送事業体が終焉し、送出業務と制作業務が分離し、多くの放送事業者がコンテンツ制作業務に特化するようになる可能性を指摘。初代東京放送局総裁の後藤新平氏による「無線放送に対する予が抱負」からの言葉を引用しながら「放送局の当事者も聴取者も、関係者全てが高い自治的自覚と倫理的観念とをもって、この新文明の利器を活用していかなければならない。これから100年後を考えると、倫理的観念をとったうえで放送を作らないと支持されなくなるし必要とされなくなる。電波の使い方の原点に戻るのがこのネット時代に必要ということを作る側も聞く側も理解する必要がある」と話していた。

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 第二部では、YRPのある地元横須賀市出身でニッポン放送ラジオパーソナリティの高嶋ひでたけ氏が「放送も昭和も100年!ラジオは昭和のニューメディア」と題して講演。大相撲の実況に憧れてアナウンサーを志し、1965年にニッポン放送に入社して以降、プロ野球の実況担当として活躍しながらオフシーズンには深夜番組「オールナイトニッポン」でパーソナリティを務めたこれまでの経緯を振り返った。
 「まだ頑張れるという見栄もある」として椅子に座らず立ったまま約一時間にわたって講演した高嶋氏は、軽妙な語り口で聴衆の笑顔を誘いながら「AI等世の中の変化があまりにも急だから見届けたい。年々100歳を超える人は増え続けている。110歳を超えると先手成谷と呼ばれる。下手な若い人より高齢者は色々経験している。そこを発揮できる世の中になればもっと丸くなる。私も引退を考えたときはあったがまだ数年は頑張ってみようと思う」と話していた。
 パネルディスカッションとトークタイムでは、鈴木社長をモデレーターに、川村氏と高嶋氏がパネリストとして登壇。それぞれのキャリア第一歩の思い出に関する質問や、会場からの「クレーム対応のマニュアルはあるか」といった質問等に答えていた。