「NHK改革②古垣専務理事」
第1部 放送民主化の夜明け(昭和21年) NHK会長予定者となった高野岩三郎さんは、まるでメモでも読むように「理事には、わたしのところ(大原社会問題研究所)の権田保之助君、それに鷲尾弘準君と桜井愛治君、もう一人は協会側から推せんがあるはずです。それと、もう一人は古垣織郎君といって朝日新聞にいる人です」なんの淀みもなくおっしゃる。私も釣りこまれるように「権田さんというと、あのドイツ語の辞書を出された方ですね」と聞けば、高野さんも「そうです」と実にアッサリと答える。 「それでは、これらの人達のご担当は?」 「権田君は編成関係、桜井君は銀行出身だから経理、鷲尾君には業務(事業面)を担当してもらいます。それから小松(繁)技術部長には理事になってもらって、技術局長をやってもらう予定です」 「そうすると古垣さんの処遇は?」 「古垣君は、語学が堪能だから渉外関係の専務をしてもらう。このほかでは佐田忠隆君を庶務部長に予定しています」 これは大変なことだ。私には特ダネ中の特ダネであったが、この時は、まだ正式な理事会にもかけられていない最高人事を、何らの顧慮もなく話されるのには二度ビックリしたが、むしろ私の後ろに立っていた橋本庶務部長のほうが驚いておられた。 私は思いもかけぬ大きな特ダネを拾った。しかもまだ正式な理事会を三十分後にひかえていたときにである。この人事を最初に知ったのは私と橋本さんだけである。 この橋本さんという人は、逓信省出身者で、それまでは大橋八郎会長の側近だった。俳号を橋本佳風といって富安風生師の門下生だった。また大橋会長も「越央子」と号して俳句をよくされ、しぐれ句会などで何度かお目にかかった人であるが、もうその頃大橋さんはNHKに辞表を出されていた。このような趣味のつながりと、私が通信文化新報の記者ということの信頼もあって橋本さんは、快く高野さんとの面会の場をしつらえてくれたのであった。 それから間もなくNHK(社団法人日本放送協会)の理事会が開かれ、筋書きどおり正式に、高野岩三郎氏が会長に選ばれ、各理事には前出の人たちが選任された。また監事には松田寅雄氏らが選任されたのだった。 理事会が終わって間もなく古垣繊郎氏にお目にかかった。その時の古垣さんは紺地に白の縦縞のダブルのスーツを着こなし、しかも靴はエナメルという、瀟洒(しょうしゃ)ないでたちであった。「あなたは渉外専務と聞かれたようですが、わたしは『専務理事』ということでお引け受けしたわけです」念を押すように言われた。これが貴族院議員古垣繊郎氏との初の出会いであった。 その後古垣さんは、高野氏の死後会長となり、昭和三十一年六月任期満了で退職後は、フランス大使を経て日本ユニセフ会長などを歴任され、昭和六十二年逝去されたが、それまでの四十年間、私と古垣さんとの間には語り尽くせぬ多くの思い出が残されている。 (第8回に続く)