実録・戦後放送史 第50回
「公聴会にNHK古垣会長②」
第1部 放送民主化の夜明け(昭和25年)
公聴会に公述人として出席したNHK古垣会長は、さらに次のように述べた。
「何と申しましても、NHKは、わが国においては唯一の経験者であり、しかも二十五年という世界の放送史上で、比較的長い経験を有する事業体でもありますから、私どもは今後商業上の目的をもって新しく放送をお始めになる他の事業体に対しましても、その健全な発達に及ばずながら欣然御加勢いたしたいと考えるものであります(中略)。しかしながらこの法案について、一部でNHKに対する保護が過ぎるということを耳にいたすのでありますが、それはおかしいことであると思います。NHKに対する保護とは何か。
それは国民全体の利益のみを目標とする公共放送の保護、国民の保護ということであります。国民の保護が過ぎるということは、まことにおかしな考え方であります。
私どもは国民の中の一部分の人々の利益を考える前に、国民全体としての利益を考えなければならないと思います。
公共の利益を優先せしめるという天下の公理は、新憲法にも明らかにされております」
そして古垣氏は「NHKは巷間に若干伝えられておりますような、ことさらに電波の独占を企画しているような事実は毛頭ありません。
ただ日本という特殊な地理的条件のもとに発達しました放送事業が、限られたわが国への電波の割当範囲内で、しかも国民の経済的負担に相応した簡易、低廉な受信機が普及しております実情のもとにおきまして、いかに混信なしに、しかも国民に犠牲と過度の負担を与えないで放送が行えるかという観点から検討している次第であります。
従いまして商業放送を行うために、混信による視聴者の迷惑もやむを得ないとするような議論は、はなはだ遺憾とするものであります。
放送は電波を利用する事業であります以上、混信を前提とするがごときいかなる議題も設備も計画も、国の政策としては成り立ち得ないと考えるものであります」
以上を前提として古垣氏は、第二放送網計画に言及し、当時の民放設立計画者のいう「第二放送の開放と分割論に、きわめてきびしい対決(反対)姿勢を見せ、第二放送の重要性を次のように述べた。
「NHKの第二放送を中止せよとするご意見もあるようでありますが、NHKの公共放送は、地域的に見て全国を対象とする全中プロ、数県をブロックとする管中プロ、また一県一地方を単位とするローカルプロがあり、聴取者の階層、年齢、職業、教育程度の区別に基づく特殊な対象別に、それに当てはまるような報道、教養、娯楽の番組のためには、第一放送のみでは国民聴取者に選択の自由が与えられないばかりでなく、とうてい番組は編成し切れないのでありまして、このため第二放送網拡充五カ年計画を急いでおり、この完成をまって第一放送と第二放送による表裏一体の公共放送網を国民大衆に提供して、その要望にこたえようとしているのであります」
続いて放送の自由とNHKの経営について、法案の重点である「経営委員会」の設置に言及。
「この経営委員会は、国会の承認を経たNHKの最高機関であり、国民大衆の代表をもって組織される機関であるので、公共放送のあり方として適当である」と賛意を表した。
次に監督行政の複雑化することについて古垣氏は「監督行政の主官庁である電波監理委員会の他に国会、内閣、大蔵省、会計検査院にも認可や承認や検査を受けなければならぬこととなるが、複雑かつ事業停滞も予想されるので、行政の一元化を要望したい」と述べ、最後に予算、事業計画や料金決定は報告事項とすることを要望して終わった。
(第51回に続く)
阿川 秀雄

阿川 秀雄
1917年(大正6年)~2005年(平成17年)
昭和11年早稲田大学中退、同年3月、時事新報社入社、以後、中国新聞社、毎日新聞社等を経て通信文化新報編集局次長。昭和25年5月電波タイムス社創立。
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