実録・戦後放送史- 電波取材に生涯を捧げた 記者・阿川秀雄の記録 -


実録・戦後放送史 第111回

「テレビ標準方式を巡るメガ論争④」

第3部 テレビ放送波乱の幕開け(昭和26年)

 電波監理委員会による「白黒テレビジョン放送に関する送信の標準方式」に関する聴聞での利害関係の冒頭陳述は、50音順に行われた。

 まず、日本テレビション放送協会の坂本弘道氏は「白黒方式から決めるのは当然であるが、将来の天然色テレビに目標を置くべきであって、そのためには今回は暫定方式として、周波数帯の幅は5.5メガとし、多局化ができるようにすべきである」と主張した。

 次に立ったのが日本テレビ放送網の清水与七郎氏だった。清水氏は「われわれは原案(6メガ案)に賛成である。将来カラー放送を実施するときに6メガでは不足するからと、7メガ案を主張する人がいるが、原案をみると、白黒からカラーに移るときのことも配慮されてつくられているので問題はない。

 日本はいま講和条約によって世界の仲間入りをしようとしているが、それなら世界の意見に同調し、日本独自の方式などを採用すべきではない。もちろん世界にいくつかの異なる方式があるが、それはアメリカを除いた少数の国であり、アメリカでは現在1400万台も普及していることをみても、この方式がもっとも秀れたものと考える。

 7メガ論者は世界中どこにも当てはまらないような方式を主張しているが、このような〝珍奇な方式〟を採用した場合、将来番組の国際交流にも支障をきたすうえ、機器の輸出入にも影響するから、これは決して得策ではない」

 清水氏はこのように言って(元東芝にいた経験もふまえ、また諸外国の例をあげ)技術的にみて6メガが7メガに遜色なく、しかも周波数幅を狭くしておくことが、将来放送局の数をそれだけ増やせる、とうんちくを傾けた。

 これに対して3番目に登場したのがNHKの小松繁副会長だった。小松さんはNHK技術の総帥であるばかりでなく、きわめて穏健な人である。したがって冒頭陳述においては、6メガ、7メガのいずれとも鮮明にして是非を論ずるようなことはなかった。

 しかし、アメリカが現在実施している白黒テレビ(6メガ)に重畳(ちょうじょう)してカラーテレビの実用化を図ろうとしているが、これが決定にきわめて苦慮していることの実例をあげ、日本も当然早晩カラーテレビ実施問題が発生するが、「そのときになってアメリカの二の舞いを踏まないような配慮が必要だ」と、やんわりと6メガ論を批判し、「できれば今回の標準方式案は、実験放送もしくは試験放送のみに準用し、その実績を十分見極め、数力月後に専門家を欧米に派遣して、将来を見通した上で、正式な標準を決めることを強く希望する」と結んだ。

 まことに小松さんらしい主張であって、いま急いで方式を決めてしまうと後世に禍根を残す。しかも標準方式は、ひとたび決めてしまうと後日これを軽々に変更するわけにはいかないし、カラー時代が来たときに、なるべく国民に経済的負担がかからぬようにすることが行政の課題だ、と切々と説いていた。

(第112回に続く)

     

阿川 秀雄

阿川 秀雄

1917年(大正6年)~2005年(平成17年)

昭和11年早稲田大学中退、同年3月、時事新報社入社、以後、中国新聞社、毎日新聞社等を経て通信文化新報編集局次長。昭和25年5月電波タイムス社創立。

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