実録・戦後放送史 第113回
「テレビ標準方式を巡るメガ論争⑥」
第3部 テレビ放送波乱の幕開け(昭和26年)
午後から審理官と電波監理委員会側との間に行われた質疑で、柴橋審理官は、「この聴聞の根拠であるが、これは電波法の83条のどれに該当するのか」と意表をついたような質問を行った。
これに対して委員会側は「聴聞は法律上義務づけられる場合と、必要によって任意によるものと2つある。今回の場合は規則類の制定とは違うが、行政上拘束力を持つ。かように考えている」と答弁したが、柴橋さんは納得せず執拗に質問を続けていった。
この聴聞の根拠について、審理官と電波監理委員会との間で交わされた質疑の大要は次のようなものだった。
審理官 将来この方式が何らかの規則になるわけですか。
委員会 設備規則になるか、あるいは他の規則にもなるかと思いますが、規則の形になって、しかも拘束力をもつものになると思う。
審理官 そうすると、この方式の中の表現は変わり得る可能性がありますか。
委員会 規則という言葉にもいろいろあるが、わたしどもは内容は変わらないと考える。
審理官 字句の中で「何々するものとする」という表現があるが、「するものとする」とは何か。
委員会 一般法令で使っている「ものとする」と、おのずから同じものである。
柴橋さんが、どのような意図でこのような質問をしたのか?勘ぐっているうちに、質問は徐々に核心にふれていった。審理官は「もし、この聴聞のあとで表現の字句等が変わることがあるか、ないか」を確認したうえで、「たとえば、この事案で「周波数帯幅は6メガとする」とあるが、将来「6メガを指針とする」とかいうような文字に変わることがあった場合には、内容が変更されたことになるかならないか」と質問した。
これに対し委員会側(野村義男法規経済部長)は「そういう仮定を設けられての質問は困る」と前置きして「周波数というものは自然科学的なものであって、電波監理委員会だけでどうなるものでもないし、国際条約的な、あるいは現下の情勢下ではいろいろある。今ここでこれだけを取り上げられて、どうかと追及されても困る」と苦渋にみちた答えをした。
だが審理官はなおも追及の手を休めず「変わる可能性があるのか、委員会の意思によって決めるのか」と切りこんだ。
これに対して、長谷電波監理長官は「補足いたします」と救け舟を出した。
「私どもは本日以降の聴聞で審議を願うことは〝この事案が変更した場合〟ということではないのでありまして、聴聞を経た後に審理官の意見書と調書に基づいて委員会が決定されたものであれば、私どもは「一事不裁理」の原則によって聴聞に二度とその内容そのものを審議して頂くことはないのではないかと申しあげているのであって、この事案は今後の本聴聞の経過、あるいは委員会のご決定によって相当変更される場合も、私どもも想定している」
つまり「事案」を審議してもらうに当たって、将来その内容や表現が変わるかどうかということは言えない。あくまでも「現実」(事案)の審議を願いたい。後のことは後のことといった答弁であった。
次に審理官は「この方式に天然色も入るのか」と質問、委員会側は「現事案には、含まれていない」と答え、この問題はそこで打ち切られた。まるで歌舞伎の「勧進帳」をほうふつさせるものだった。
(第114回に続く)
阿川 秀雄

阿川 秀雄
1917年(大正6年)~2005年(平成17年)
昭和11年早稲田大学中退、同年3月、時事新報社入社、以後、中国新聞社、毎日新聞社等を経て通信文化新報編集局次長。昭和25年5月電波タイムス社創立。
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