実録・戦後放送史- 電波取材に生涯を捧げた 記者・阿川秀雄の記録 -


実録・戦後放送史 第114回

「テレビ標準方式を巡るメガ論争⑦」

第3部 テレビ放送波乱の幕開け(昭和26年)

 次いで柴橋審理官は、無線工業会から提出された資料にもとづいて、松下電器と工業会に質問した。それは同工業会等から「暫定方式にすべきである」という意見に対しなされた。

 ここでのやりとりは「何故暫定方式を主張するのか」という点であった。松下電器としては、委員会の方式案は実験してみないと判定しがたい。特に「電源非同期」にしても「毎秒像数三十枚」という技術的な問題等を含め、今後よく実験しないと結論は出せないからだというものだった。工業会を代表しての高柳氏や日本ビクターの橘氏などの主張も大同小異だった。

  
 そこで審理官は、委員会に対して「暫定方式とする考えはないか」と質すと、委員会側(甘利電波部長)は「今の段階ではそのような考えはない。しかしテレビジョン技術は非常な勢いで進んでおり、〝ある時期〟には変更されることもあり得ると思うが、今回の事案では暫定的方式は考えてはいない」と、何か歯切れが悪かった。審理官もそのへんを重要視して工業会との間で繰り返し議論した。

 このやりとりをイライラしながら聞いていた日本テレビの山際代理人は「先程、高柳さんは急速な発展を希望すると冒頭陳述では言いながら、後になって〝一年位の暫定期間を置け〟というのは矛盾している。会社の重役ともあろう人の意見が、ぐらついている。われわれは暫定方式には絶対反対だ」とやり返すと、高柳さんも負けてはいず「私は無線工業会の代理人として発言している。内外の情況も考え、また将来を思い、正式なスタンダードは少なくとも一年ぐらい置いてからきめるのがよいと主張しているのだ」と反発、早くも両者間で火花が散った。

 そこで柴橋審理官は「さきほどの委員会の答弁では〝規則だから変更もあり得る〟といっておられる、また〝事案どおり〟ともおっしゃるが、どちらなのか」と、これも議論となった。

 「先ほど来、カラーテレビも含めていろいろな意見が出たが、われわれとしては現在の日本の技術をもってしても、白黒式については十分これを実施し得る段階に到達したという理由から、今回は白黒方式だけを正式なものとして提案したわけです」甘利電波部長も自説を固持してゆずらない。

(第115回に続く)

阿川 秀雄

阿川 秀雄

1917年(大正6年)~2005年(平成17年)

昭和11年早稲田大学中退、同年3月、時事新報社入社、以後、中国新聞社、毎日新聞社等を経て通信文化新報編集局次長。昭和25年5月電波タイムス社創立。

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