実録・戦後放送史 第115回
「テレビ標準方式を巡るメガ論争⑧」
第3部 テレビ放送波乱の幕開け(昭和27年)
柴橋審理官の真意は二つあった。つまりこの標準方式は電波法にいう規則に該当するのか、もしそうだとしたら後に変更があるのか、というのが第一点。
二つ目はNHKや無線工業会が、なお検討の余地があるので暫定方式にせよといっているが、委員会の考えはどうかというものだった。
柴橋さんとしては、これらの点をハッキリさせた上で事案(標準方式)の内容審議に入りたいと考えたからだったと思う。いずれにしてもこの議論の中にカラーテレビについての意見が交ったので、聴聞は一時混乱の様相を呈した。
このように原則論をまじえた禅問答のようなやりとりがしばらく続いた。私も柴橋さんの気性を、ある程度わかっていたから〝聴聞は長引きそうだな〟と思いながら聞き入っていた。
日本テレビ側がイライラして「早く核心にふれるよう」とせがんでみてもお構いなしで、「方式案」の内容や利害関係者の冒頭陳述とか準備書面について、なかば揚げ足をとるような形で審問し、自分自身を納得させた上でズバリ本筋に入っていく戦法をとった。
将棋でいう櫓(やぐら)囲いをしてから攻めに出るというやり方だった。そうして「なぜ6メガが秀れているのか、また7メガでは何か不都合があるのか」といった鋭い質問を繰り返したあと、各利害関係者から申請された参考人の喚問に移った。
この日参考人として出席したのは島茂雄(NHK技研音響研究部長)鈴木平(工業技術庁標準部長)玉置敬三(通産省通商機械局長)千葉茂太郎(法政大学工学部教授)堀井隆(静岡大教授)および八木秀次(学術会議会員)の6氏だった。
最初に審問された堀井教授(NHK申請)は「長年の経験から、将来のカラーテレビヘの移行を併せ考えてみても7メガが適切である」と証言。
続く島茂雄氏(同)は「欧州各国とも、いまだテレビ方式は未決定である等の点を考慮して、いま日本で性急に(正式に)方式を決めることは得策ではない」と、欧州各国を調査して帰国したばかりの体験をふまえて、方式決定を急ぐべきでないとの理由をあげた。
鈴木参考人は「方式決定は電波行政当局の監督権限だから工業標準化法の範囲外である」といい、また千葉参考人(日本テレビよりの申請人)は「6メガより7メガが優れているという意見には賛成できない。むしろカラーは別の方式で実施すべきだ」と発言。
注目の八木秀次参考人は「当局案に全面的に賛成する」としたうえで「技術家の先輩として一言申し上げれば〝7メガでなければできない〟などと泣きごとをいうのは技術家の恥ではないか。むしろ6メガでカラーを実現できるよう努力するという態度こそ望ましい」と先輩論をブチ上げた。
この八木氏の発言には高柳氏や無線工業会の代表が怒り心頭に発したのは当然であった。激しいやりとりがあって一時緊迫した空気が流れたが、そこは〝おとな同士〟、工業会側が唇を噛みしめることで納まった。
(第116回に続く)
阿川 秀雄

阿川 秀雄
1917年(大正6年)~2005年(平成17年)
昭和11年早稲田大学中退、同年3月、時事新報社入社、以後、中国新聞社、毎日新聞社等を経て通信文化新報編集局次長。昭和25年5月電波タイムス社創立。
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