実録・戦後放送史 第118回
「テレビ標準方式で意見書②」
第3部 テレビ放送波乱の幕開け(昭和27年)
柴橋審理官の意見書は、各利害関係者の意見、主張を詳細に述べたあと、その結論として次の理由を「結び」の中で鮮明にしている。そして、この「結び」こそが、柴橋、西松両審理官が〝世紀の聴聞〟といわれたテレビのメガ論争をめぐってのしめくくり(総括)である。
「結び」
テレビジョン放送の政治的、経済的、社会的ないしは文化的機能の重要性は、アメリカにおける実情をみても蓋(けだ)し測り知るべからざるものがある。従ってその実施に当たっては、その国民に及ぼす影響、他の重要産業との経済的関連あるいは国際関係の考慮等、復興途上にあるわが国においては究明すべき多くの問題を残しているので、広く各方面の意見を求め、関連するすべての問題について慎重な検討を遂げ、ただに電波監理的見地からするのみならず、一層高い国家的見地から基本方針を決めるのが最も賢明である。
そうして今回の聴聞の事案である標準方式は、元来わが国におけるテレビジョン放送の在り方の究明と相関連し、その一環として解決されるべきもので、これらと離れて決定することは至って困難であり、且つ適当ではない。
然るに偶々この標準方式のみが他の諸問題より一歩先んじて審理の対象になったのであるが、そこでは将来における技術的進歩の見通し、画の品位の基準、現在および将米における国民の経済的負担の程度等の問題が論議の根底となり、しかも決定的な結論を得ることはできなかった。
しかしながら今回の聴聞により、利害関係者(客観的意見を代表するものとはいいがたいけれども)の標準方式に関する見解は一応明らかになったので、これらの点は今後更に他の諸問題との関連において検討を加え、順次決定していくのが適当であろう。
柴橋審理官は、このように結んでいる。つまり、その言わんとするところは、これから決定し、また始めようとする日本のテレビジョン放送について、経済的、社会的問題等テレビジョンの開始にとって必要な諸問題を(十分に)討議することなしに、また免許を急ぐあまり「電波の割当上の問題のみを優先的に扱ったことには疑問の余地がある」というものだ。
審理官のこのような「時期尚早論」にもかかわらず、27年2月28日開かれた電波監理委員会の裁定は「原案を適当とし〝6メガ方式〟を採用する」というものだった。
この決定に対して無線機械工業会および加盟の5杜、NHKは「原決定に不服」として異議申し立てを行った。
これを受けて電波監理委員会は、岡咲恕一委員みずからを審理官として4月15日から前後八回にわたる異例の聴聞(いわゆる裁判の第二審)を開催したが、結論は「この異議申立は、いずれも理由なきものとして、これを却下すべきである」との岡咲審理官の「意見」を容れ、委員会もまた6月18日(多くの意見を退け)正式に6メガ方式を決定した。
(第119回に続く)
阿川 秀雄

阿川 秀雄
1917年(大正6年)~2005年(平成17年)
昭和11年早稲田大学中退、同年3月、時事新報社入社、以後、中国新聞社、毎日新聞社等を経て通信文化新報編集局次長。昭和25年5月電波タイムス社創立。
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