実録・戦後放送史- 電波取材に生涯を捧げた 記者・阿川秀雄の記録 -


実録・戦後放送史 第127回

「日本テレビも開局」

第3部 テレビ放送波乱の幕開け(昭和28年)

 NHKに続いて民放として最初にテレビ放送を開始したのは、ほかならぬNTV(日本テレビ放送網)である。日本テレビは、免許においてはトップを切って昭和27年7月31日、民間最初のテレビ局として予備免許を獲得し掛け声も勇ましくスタートを切った。

 そして、同日の発表では半年後に放送開始ということだったが、実際の開局は、それから1年以上も過ぎた28年8月28日だった。

 その理由にはいろいろあるが、社長の正力さんという人は、予想以上に縁起をかつぐ人で、いわゆる「八は末広がり」しかもその「八」が二重も三重にもかさなるこの日を選んだという。

 余談はともかくとしてNTVの開局記念日は残暑きびしく、またよく晴れた日であった。私もこの日招かれて開局式典に臨んだが、東京千代田区二番町のNTVスタジオ局舎前道路には、各方面から贈られた約二百本の花輪が延々と連なり、この間を縫って訪れる車の数もまた異常なほどであった。

 開局は午前11時20分からだったが、当時の吉田首相をはじめ内外の名士約2千人が招かれて式場を埋めつくす。そして、これより先、午前9時にはスタジオ東館の第二会場において赤坂日枝神社の神官による修祓があったあと、工事関係者らに感謝状と金一封が贈られた、と私は電波タイムズ紙上で紹介した。

 開局披露式は定刻10時20分から行われ、カメラマンの点くフラッシュの中を黒塗りのキャデラックに乗った吉田首相が到着、にこやかに降り立ち、出迎えた正力氏とガッチリ握手と、当時の電波タイムズは実に細かい描写をしている。

 式典はまず正力社長の次のようなあいさつによって始められた。
 「われわれが念願しているのはテレビの大衆化である。しかし今のところ受像機は高過ぎるから、われわれとしてはまず街頭に大型テレビを置いて大衆に溶けこませ、次第に家庭のものとすると共に広告媒体としたい」

 次いで吉田首相はユーモアたっぷりに「わたしは初めから民間テレビは無理だと考えていたが、正力君一流の押しと強引さで、遂にやりとげたことは喜びにたえない。この上は日本のためにテレビの公共性を生かしてもらいたい」と、祝辞とも訓示ともつかぬ讃辞を贈った。

 かくして日本のテレビ放送は、公共放送(NHK)と民間放送(NTV)の並立により船出した。
(第128回に続く)

阿川 秀雄

阿川 秀雄

1917年(大正6年)~2005年(平成17年)

昭和11年早稲田大学中退、同年3月、時事新報社入社、以後、中国新聞社、毎日新聞社等を経て通信文化新報編集局次長。昭和25年5月電波タイムス社創立。

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