実録・戦後放送史- 電波取材に生涯を捧げた 記者・阿川秀雄の記録 -


実録・戦後放送史 第152回

「カラーテレビの登場⑥」

第4部 テレビ普及に向けた動き

カラーテレビの方式については、同様に強い関心を抱いていた国会筋も事態を見過ごすことはできないと、昭和35年2月9、10日、衆議院逓信委員会は植竹郵相、甘利省吾電波監理局長ら郵政省幹部を喚んで質疑を展開した。この両日質疑に起ったのは上林山栄吉(自民)森本靖、金丸徳重(社会)の三氏であった。以下はその質疑の概要である。

 上林山氏:郵政省はカラーテレビの標準方式をNTSC方式に踏み切ったようだが、本放送開始までのスケジュールを聞きたい。
 甘利局長:標準方式案および無線設備規則、同免許手続規則など関係省令改正案を電波監理審議会に諮問、答申を得た上で実施する。
 これらはいずれも聴聞に付せられるが、いろいろな意見も出ると思われるので、いつという期間は予測できない。省としては方針を決めた以上できるだけ早くと考えるが、場合によっては相当な日時がかかるかもしれない。
 植竹郵相:(実施は)審議会の結論を待つということであるが、おおよそ四月ごろと考える。しかし党(政調会)の意見も聞く必要があるので、しばらくはこの程度の答弁で容赦願いたい。
 上林山氏:ではカラーテレビに対する客観情勢はどうか。
 甘利局長:多数意見(賛成意見)というものは往々にして表に出ず、むしろ反対意見が取沙汰されている。関係各界の意見も促進論、慎重論と岐れている。ただ、方式が決まり、受像機も量産で安くなれば国民大衆から歓迎されようし、我々としては実施の機は熟していると解釈している。
 植竹郵相:これが実施については調査会の報告でも、国民の間に異論はないようだ。方式については意見がまちまちだが、これが客観情勢といえよう。しかし私として最近の画面はキレイになったから、もう実施してもよいと考えた。また方式決定によって日本の技術を刺戟し、機器の量産ができれば逆に輸出も考えられる。
 次いで森本靖議員から「方式論」について技術的な質問がなされたが、郵相は「技術には素人なので」と突っぱねた上「私としてはむしろ実施は遅いと思う」と答えている。

 次いで10日の衆議院逓信委員会では、金丸徳重氏が質問にたち、カラーテレビ実施上の問題点、すなわち送受信技術、あるいは普及上における日米の現状と見通しなどについての質疑を展開していった。
 金丸氏:電監局長は純技術的立場から、カラーテレビは実施の時期に来ていると思うか。
 甘利局長:アメリカでの普及がはかばかしくない点についてはカラーテレビ調査会でも検討した。すなわち日本における普及計画、外国事情をも研究したが、カラーの問題は①番組内容の質と量②画の質の問題③受像機の価格等を関連的に考える必要があるわけで、たとえばアメリカにおいては白黒との両立性に意義を認めても最初の頃の受像機の欠陥が信用を落とし、また国情は異るとはいえ五百ドルも出すのならカラーテレビよりも他に生活を楽しむものがあるのではないかと手を出さないものと考えられる。一方、日本における白黒テレビの普及の速度、また街頭カラー受像の聴取状況などからみても、かなり普及するのではないかと思う。また技術的にみてNTSC方式より他に新方式が発見できるのではないかと希望をもっていたが、諸種の研究の結果は不幸にして今すぐNTSCに替わるものが発見できなかった。
 日本だけでなく他の国でも二色式等の研究があるが、NTSCより更に不経済になるといわれ、ソ連でも熱心に研究したが数回にわたる国際会議にも新方式は出てこなかった。そこでわが国でもNTSC方式について詳細な検討を行ったが、これが優れた方式であり、致命傷になるような欠点はないという結論になった。ただしこれは送信の方式であって、受像機は標準方式が決まれば進歩はとどまるところなく、メーカーも量産体制に入るようになったので次第に良いものができると考えられる。
 甘利局長は、技術的諸問題とその背景などを克明に説明。金丸氏も納得した。さらに甘利局長は「理想的には標準方式の国際統一であるが、欧州とアメリカでは使用周波数が異るので無理だった。しかし各国が変換方式を持てば録画等による国際番組交換は可能だ」と付け加えた。

阿川 秀雄

阿川 秀雄

1917年(大正6年)~2005年(平成17年)

昭和11年早稲田大学中退、同年3月、時事新報社入社、以後、中国新聞社、毎日新聞社等を経て通信文化新報編集局次長。昭和25年5月電波タイムス社創立。

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