実録・戦後放送史 第156回
「カラーテレビの登場⑪」
第4部 テレビ普及に向けた動き
さて、カラーテレビジョン関係省令改正については、四月十三日より四日間にわたり利害関係者を招いての聴聞を行うこととし、これを主宰する審理官に中西光二、公平信次の両審理官が指名された。
そして、この聴聞会が四月十三日午前十時から麻布狸穴の郵政本省四階講堂で開催された。まさに世紀の聴聞といわれるだけあって、この日の会場には利害関係者として五十三団体(会社を含む)百十人のほか、参考人として飯野毅夫、抜山平一、谷村功、柴橋国隆(以上行政経験者)、小出栄一(通産省重工業局長)、河口静夫(日本広告主協会副会長)の六氏が招かれ出席するなど、随員、報道関係および傍聴人を含めると、総勢五百名近い人達で埋めつくされた。
当日の模様を再現すると、まず中西主任審理官から、今回の聴聞の趣旨等について説明のあと、発言についての注意などがあってのち、各利害関係代表からの冒頭陳述の順序が指定された。すなわち①NHK(溝上銈副会長)②電子機械工業会(高柳健次郎)③民放連(室谷邦夷会長代理)④電電公社(石川技師長)⑤読売テレビ(木村六郎技術局長)⑥ラジオ東京(遠藤幸吉常務)⑦日本テレビ(清水与七務)⑧乙部融朗(日本カラーテレビ放送)の八氏が起って、それぞれ意見陳述を行った。
また、この日予定を変更して通産省の小出重工業局長を参考人として(カラー受像機の国内生産状況と部品等の輸入に関する現況等)を聴いた。また利害関係者として、日本テレビ(清水氏)読売テレビ(木村氏)が事案に賛成したものの、他の六氏はいずれも原案そのものには反対しなかったが、本放送の実施については時期尚早もしくは慎重論であった。
これに対して甘利省吾電波監理局長は、冒頭陳述における意見および質問について(あらかじめ用意した)郵政当局の方針を具体的に説明(後述)。終わって河口、飯野、抜山氏の順で参考人としての意見が述べられて第一日を終えた。
次に三十五年四月十三日から開催された同聴聞会での利害関係者の陳述内容とその概要を追ってみたい。
NHK(溝上副会長)
「NHKは昭和三十一年十二月から約三年半にわたってカラーテレビの実験放送を実施してきたが、現在の段階においては(実験の結果からみて)欧米の技術に比較しても決して劣っていない。したがって、技術的立場からいえば、本放送に移行してもなんら差し支えない状態にある。
しかし、諸般の事情を考慮するとき、本放送を実施する上に、とくに留意しなければならない点は、すでに著しい普及をみせている白黒テレビに影響を与えてはならないということである。このためNHKとしては白黒と両立性あるコンパチブル方式によることが最も適切であると考え、実験もVHF帯によるNTSC方式によって行ってきた。
したがって今回の聴聞に付された標準方式案は、NHKが実験してきたものと同方式であるから、この標準方式の採用には賛成である。したがって方式採用の前提となる「無線設備規則」や免許手続規則の改正案についても基本的に賛成である。
ただカラーテレビの普及をはかるためには、なお考慮を要する問題が多々あると考えられる。特に受像機については量産体勢を確立することにより、家庭生活に適した型(サイズ)で、しかも価格も低廉で安定度の高い国産受像機が生産されることがなにより肝要である。
この点、政府当局においても特段の配慮が望ましい。NHKとしてもカラーテレビの普及促進と今後の進展のためには総力をあげ、実施には十分慎重を期したいと考えている。」(第157回に続く)
阿川 秀雄
阿川 秀雄
1917年(大正6年)~2005年(平成17年)
昭和11年早稲田大学中退、同年3月、時事新報社入社、以後、中国新聞社、毎日新聞社等を経て通信文化新報編集局次長。昭和25年5月電波タイムス社創立。
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