実録・戦後放送史 第161回
「カラーテレビの登場⑯」
第4部 テレビ普及に向けた動き
カラーテレビジョン関係省令改正を巡る聴聞に参考人として出席した四人の最後に、抜山平一(電波技術審議会会長)は次のように述べた。
「電波技術審議会会長として出席を求められたが、わたしの資格は一参考人であり『諮問』もないものに意見を述べるわけにいかない」と、まず皮肉たっぷりに次のような公述を始めた。
「しかし専門家としての意見を述べよといわれれば、今回の事案は『送信の標準方式』でなく、むしろ『標準の技術方式』とすべきである。
またNTSC方式について、研究者としての私からみればこの方式は未熟であり、今直ちにこれでいくことには反対である。郵政省は『行政方針』からこれを妥当とみているようだが、それでは新しい研究が停止してしまう。日本は創造技術において(いままで)世界に貢献した例がなく、(模作した機器の)普及にのみ専念している。したがって他国に追随するというのなら、今回の方式より秀れたものでなくてもいいのではないか。
こんどの聴聞では『白黒に迷惑がかかるとか、かからぬ』とか議論しているが、実施してみて、もし失敗したら目をさましてやめたらよい。むしろ受信機を改良して逆に輸出を考えたらどうだろうか」
抜山さんらしい人を食った発言に場内は一時騒然となったが、それには構わず「この方式(NTSC)に固執して将来とも変更しないということになると、鉄道の広軌、狭軌と同様の問題が後で起こらぬとも限らない。それならむしろ暫定方式として置いて、いつでも変えられるようにしておくべきだ。私をしていわせれば、NTSCは、現在は一番よくて一番悪い。しかも受信機が高価では一部の人の所有物になってしまう恐れがある」
以上で参考人の陳述はすべて終わり、賛否両論と各方面からの質問に対して、甘利電波監理局長はカラーテレビ実施のため三省令改正を諮問した理由などについて、次の如く当局の考え方を明らかにした。
「一、標準方式決定に関する条件については、カラーテレビの標準方式は世界各国で議論され、過去十年にわたり各種の国際会議やCCIR総会、部会等で討議されたが、結局米、欧二つの方式に分かれることになった。日本としてもその何れかを採用しなければならなくなったわけで、諸般の検討研究を進めた結果、昨年カラーテレビ調査会から『VHF帯において現在直ちに実施するとしたらNTSC方式が適当だ』との中間報告があった。
しかし、当局はこの中間報告に基づいて実施を図ろうとしたのではなく、今回の諮問はあくまでも郵政省独自の行政措置である。
わが国でカラーテレビを実施するためには多くの研究課題があり、31年暮れからNHK等の実験放送が行われてきた。その結果わが国としても何れかの方式を決定しなければならぬことになったわけだが、電波法上では方式を決めたならば即本放送を実施する建前になっている。
また、実施に必要な受け入れ体制であるが、先刻、通産省重工業局長(小出参考人)からも説明の通りメーカーの生産体制は進んでいる。
二、従来事務当局は尚早論であったが、各種の情勢が変化したこと。また実施を遅らせていた諸条件が取り除かれた。すなわち受像機の調整、安定度等の不安が除かれたこと、画質も向上し国産受像機も生産されるに至ったこと。またアメリカで懸念された普及も向上している。これらの点を勘案して実施の時期に来たと考えている。
三、日本での普及はその伸び方及び生産と見合せて考えなければならないが、来年度は五千台ないし一万台の国産化が可能といわれ、またかなりの輸入品も見込まれている。もちろん、その見通しを的確に判断するのは困難であるが、日本では接客業などを中心に当初は伸びていくと思われる。これは白黒の場合と同様とみて、少なくとも数年後には10万台位になるとみている。
四、白黒と併せてカラー放送を行う場合の白黒に対する影響であるが、白黒は目下予定通りに普及しており、すでに400万台を超えた。また生産台数も昨年度は月産25万台、35年度は月産30万から35万台に達するであろう。普及も中流以下の家庭にも及んでいる。したがって、カラーも40万~60万円といわれる高価な受像機であるが、当面は白黒との関係はあまりないから両者が並行して伸びていくものと考えている。」
阿川 秀雄
阿川 秀雄
1917年(大正6年)~2005年(平成17年)
昭和11年早稲田大学中退、同年3月、時事新報社入社、以後、中国新聞社、毎日新聞社等を経て通信文化新報編集局次長。昭和25年5月電波タイムス社創立。
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