実録・戦後放送史- 電波取材に生涯を捧げた 記者・阿川秀雄の記録 -


実録・戦後放送史 第165回

「カラーテレビの登場⑳」

第4部 テレビ普及に向けた動き

 ここまで、日本のカラーテレビの歴史をたどってきたが、最後に、日本のカラーテレビが、どのようにして本放送の日を迎えたかの回顧風にまとめて締めくくることにした。

 はじめに日本におけるカラーテレビジョンの研究は昭和25、6年ごろから始められた。それは1950年11月20日、アメリカが最初のカラーテレビの標準方式としてCBS方式を採用したこと始まる。
 やがてFCC(米連邦通信委員会)が一九五三年に「NTSC方式」を正式なアメリカ方式として決定してから、我が国の研究も急速に進められた。
ちなみに、日本での最初のカラーテレビの実験は、日本コロムビア株式会社が26年9月14日からCBS方式で始めている。これは俗にコロムビア方式といわれるもので、スライドのカラー画像をRGB(赤緑青)の三原色回転板を用いて送受信する機械式のものだったが、経済的理由からNHKも27年この実験研究を一時的に行ったことがある。しかし翌28年アメリカでNTSC方式の採用が決定されるや、同方式の研究に本格的に取り組むようになった。
あたかもこの年(1953年)は我が国のテレビ放送(白黒式)が本放送を開始した記念すべき年でもあった。

 NTSC方式のそもそもの始まりは、朝鮮戦争のさなか(1950年~53年)、アメリカRCAが新しい電波兵器の研究中、色の出せる電波技術を発見、これを応用すればテレビのカラー化ができるという原理をつかんだことに始まる。そこでアメリカ政府は「ナショナル・テレビシステム委員会」を設け、約2年間にわたる実験研究を経て、この方式を同委員会の頭文字をとりNTSC方式と銘名した。そして、アメリカは1954年1月、この方式によるテレビ放送を許可したのだった。
 以上の理由から、日本におけるNTSC式カラーテレビの研究と実験は、NHKをはじめ多くの無線通信機メーカーが、こぞってこれに参加した。また日本テレビ放送網会社(NTV)やNHKからの要請もあって、郵政省は、32年12月28日、両局にVHF帯によるカラー実験局を免許した(同日放送開始)。
この時から我が国のカラーテレビ放送は開始されたといってよいが、郵政省は、当時「標準方式」未決定のこともあって、この実験局の許可に当たって次の条件をつけている。郵政省が、NHKとNTVに付した条件とは、次のようなものであった。

 1、わが国におけるカラーテレビについての標準方式は未定である。したがって(これはあくまで実験放送であるから)国民に対して「本放送」であるかの如き印象を与えないようにすること。
 2、したがって放送画面等の中に「実験局」であることを明示すること。
 3、方式の決定までは「受像機の購入」は差し控えるよう放送の中で告示すること。
 4、(NTVに対して)実験局であるから、広告等のコマーシャルを挿入しないこと。

 というものであった。最初この実験局(放送)の目的は、あくまでも「技術」を主としたもので、たとえばNTSC方式そのものについての調査と実験、また受像機生産と普及に不可欠な簡易性と安定性、色彩効果並びに価格等について、十分に調査研究する必要があったからである。

 なお郵政省はNHK、NTVに引き続き、34年2月1日ラジオ東京(TBSの前身)にも実験局を免許、同局は2日から実験放送を開始している。

阿川 秀雄

阿川 秀雄

1917年(大正6年)~2005年(平成17年)

昭和11年早稲田大学中退、同年3月、時事新報社入社、以後、中国新聞社、毎日新聞社等を経て通信文化新報編集局次長。昭和25年5月電波タイムス社創立。

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