実録・戦後放送史- 電波取材に生涯を捧げた 記者・阿川秀雄の記録 -


実録・戦後放送史 第167回

「カラーテレビの登場㉒」

第4部 テレビ普及に向けた動き
 NHKとNTV両局にVHF帯によるカラー実験局を免許し、カラーテレビ本放送の準備が着々と進むなか、こうした動きに焦燥していたのは、通信機メーカーであった。とくにNEC(日本電気)や日本コロムビアは、昭和二十五年(一九五〇年)アメリカFCC(連邦通信委員会)が最初にCBS方式をアメリカのカラーテレビの標準方式と決めたのを機会に、「この方式こそ我が国に最もふさわしい経済的なもの」と判断した両社は、積極的にこの試作研究に取り組み、一時は大々的にデモンストレーションまで行い、政府のゴーサインを待っていた。
 NHKも一九五四年、アメリカNBCとCBSがCBS方式による実験放送を実施したうえ、受信機も低廉であるところからこれに着目し研究を開始し、ほぼ本放送も可能といわれるまでになっていた。そこへ降って湧いたようにFCCの方針変更の報が飛びこんで来たので、放送関係業界が混乱したのは当然だった。
 一九五三年FCCは、二年間にわたる調査検討のすえ、NTSC方式採用にクラ替えしてしまったからである。しかし、外圧に弱いというか、日本の業界や政府の変わり身も素早かった。アメリカが咳をすれば日本人は風邪を引くといわれた時代である。とくに開業以来RCA社の恩恵を得ているNTVが、いち早くNTSC方式によるカラーテレビ放送実現のため関係方面にはたらきかけたのはいうまでもない。
 俗っぽくいえば、この話に乗ったのは郵政省というか寺尾、植竹両相であった。ことに植竹郵相はカラーテレビに意欲を示し、一九五九年十月一日からジュネーブで開催されたITU(国際電気通信連合)全権委員会議に自ら代表として出席するかたわら、英、仏両国のカラーテレビ研究の実情を視察して帰るなど、並々ならぬ意欲を示している。そして、この年十二月カラーテレビ調査会から「いま早期に日本でカラーを実施するとしたら、NTSC方式による以外にない」との答申を受け取るや、一九五九年十二月二十五日、年内最後の記者会見で「日本のカラーテレビの標準方式は、アメリカと同じNTSC方式とする」と爆弾宣言をして世間をアッと言わせたのであった。
 しかも植竹郵相は、記者団の質問に答えて「研究も試験放送も完璧に近い状況であるから、来年春ごろには本放送を実施できるようにしたい」と自信満々であった。
 このため三十五年の各新聞はカラーテレビ時代来たると一斉に筆をそろえたのを思い出す。
 それどころかよろこんだのはNTVだった。十二月二十五日植竹郵相の「NTSC方式に決めた」の報を知るや、その夜社員を集めて祝賀会を開き、三十日にはこれが開発に努力した社員表彰を行うやら金一封まで出すというハシャギ様であった。とくに正力会長は特別記者会見を行い「われわれの主張が通った。正にカラー時代が訪れた。われわれはアメリカを抜いてカラー一等国にしたい」と大見得を切ったものである。
 だが、植竹郵相の姿勢に対して、かならずしも国会筋は、これに完全同意したわけではなかった。とくに社会党、民社党は猛反発し、衆・参両院の本会議や逓信委員会の席上で郵政、通産両大臣に鋭い質問を浴びせるやら、学識経験者らを参考人として招致し、多角的な質疑を展開していった。
 野党だけではなく、与党(自民党政調会)も郵相発言を問題にした。とくに同政調会は植竹郵相のいう「カラーテレビは、実施の時期に来た」とする根拠について調査を進める一方、郵政省が「標準方式」など一連の省令改正案を一月二十九日(三十五年)の電波監理審議会に諮問する予定であるとの情報をつかむに及んで、ただちに植竹郵相を呼んで事情を聴いたうえ、本放送の実施(許可)には、とくに慎重を期すよう要望した。
 さらに衆・参両院逓信委員会でもこの問題を重視して郵政、通産両相ら幹部を招いて政府側の意見を聴く一方、放送関係者、通信機器メーカーなど多数を参考人に招き実態調査を行ったが、早急な方式決定と即時実施(許可)を求めたのはNTVとその系列局等(十二社)だけで、NHK、民放連は送信の標準方式であるNTSC方式そのものには特に異論はないが、本放送の実施については慎重に考えるべきとの意見が圧倒的であった。(第168回に続く)

阿川 秀雄

阿川 秀雄

1917年(大正6年)~2005年(平成17年)

昭和11年早稲田大学中退、同年3月、時事新報社入社、以後、中国新聞社、毎日新聞社等を経て通信文化新報編集局次長。昭和25年5月電波タイムス社創立。

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