実録・戦後放送史- 電波取材に生涯を捧げた 記者・阿川秀雄の記録 -


実録・戦後放送史 第168回

「ハイビジョンを巡る国際動向①」

第5部 テレビの進化
ハイビジョン(HDTV)が、その実用化をめぐって「世界の檜舞台」で、いかなる論議と研究のすえ、わが国(NHK)の発明になる最高のテレビ技術が米国で採用され、国際的規格としてITUから(列国に)勧告されるに至ったか等の経緯を記録しておく。

 筆者は、一九八三年(昭和五十八年)、スイスからの招待で、ハイビジョンが初めて国際的に注目されたときの情景を見聞した。またそれ以後の各国の動向などを見たまま、聞いたままに紹介することに意義を感じている。
 筆者が初めて高品位テレビ=今日の「ハイビジョン」の話を耳にしたのは、一九六四年(昭和三十九年)ごろのことであった。
 次世代の、というか究極のテレビ(HDTV)として、そのころNHK総合技術研究所の藤尾孝さんから、この開発研究に入ったという話を聞いたのが最初である。
 しかし当時の私には、それが、どのような技術や形態のものであるのか、皆目見当がつかなかった。
 それから数年して藤島克己、高橋良氏ら歴代NHKの技師長に会ってから、その輪郭が次第につかめてきた。
 つまり現在のテレビ(NTSC方式・走査線五二五本)では、いくら改造を重ねていっても画面の精細度には限度があるため、全く発想を変えて走査線も一千本以上、受像画面も現在のタテヨコ3×4から16×9の横長にして視野を広くする、と同時に、音声もダイナミックにし臨場感を持たせる。将来はそれが立体テレビや壁掛テレビともなる。いわゆるテレビ技術の革命を目指すものだ、というのが両氏の説明であった。
 そしてNHKは一九七二年(昭和四十七年)になって、理論的にはもちろん、この「高品位テレビ」の実験用カメラやモニターの開発試作機ができたのを契機にITU(国際電気通信連合)の技術規格作り等を担当するCCIR(国際無線通信諮問委員会)に、世界でこれを研究すべきだと提案した。  
これによって世界の放送界はHDTV(高精細度テレビ)に注目し、それぞれで検討をはじめたのだった。
 それから以後のNHKの研究は70ミリフィルム用レーザーフィルム送像装置を開発し、1インチのサチコン高品位テレビカメラの開発に成功し、一九八〇年には世田谷の技研と代々木の放送センターの間で無線による伝送実験に成果を得た。
 そして、翌年にはアメリカSMPTE(映画テレビ技術協会)やFCC(連邦通信委員会)で実験展示公開を行うなどして各方面の関心をさらに深めることになった。(第170回に続く)

阿川 秀雄

阿川 秀雄

1917年(大正6年)~2005年(平成17年)

昭和11年早稲田大学中退、同年3月、時事新報社入社、以後、中国新聞社、毎日新聞社等を経て通信文化新報編集局次長。昭和25年5月電波タイムス社創立。

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