実録・戦後放送史 第178回
「ハイビジョンを巡る国際動向⑩」
第5部 テレビの進化
会場を出ると、偶然日本人の関係者に会った。その人は日本の某放送機器メーカーの技術系役員であった。
「ここ(IBC)の会場では、日本のハイビジョンの出展は見合わせて欲しいということなので、やむなく他に会場を借りて公開しております」という。そして「我々も、これからそこに行く途中ですから、よろしかったらご一緒に」と、願ってもない話となった。
本来ならばIBCのセミナー会場のテクニカルセッションに顔を出し、日本から参加したソニーの森園氏らのスピーチや討論を聞きたいと思っていたが、日本で特設したハイビジョン会場行きバスの出発時間が迫っているというので、これを割愛して同行することにした。
我々を乗せたバスはブライトンの街を抜けて、なだらかに起伏曲折する道路と雑木林に囲まれたいくつかの集落を過ぎてサセックスの町を目指す。行程は約3キロ位だった。同乗者のうち日本人数人の他は、ほとんど外国人(数10名)である。これらの人々に対しNHK職員はパンフレットを渡したうえ、MUSE方式HDTVのあらましと、今回のサセックスでの展示の内容について詳細に説明する。
やがて到着したサセックス大学は筑波学園都市をみるような広大さで、レンガ造りのいくつもの校舎、講堂が松の木立の中に点在していて美しい。そしてその一番奥まったところに建っているのが近代的な室内運動場だった。3つに区分された会場内にはHDTV技術の原理を紹介するパネル展示、次のコーナーはハイビジョン用カメラや放送用機器と部品、一番奥のホールというかバスケットボールなどに使用する広い部屋にアイドホール(投写器)と大きなスクリーンがあり、そこで画像公開が行われていた。
我々日本人にとっては見なれた画面であったが、初めて見る外国人には瞠目すべき壮大なスペクタクルとして映ったようであった。
NHKをはじめソニー、松下電器、池上通信機などが協力してのデモンストレーションは、地元の人々の目を奪うのに十分であった。
私も日本人として異国でみるハイビジョンの美しい画面にあらためて堪能すると同時に、このような世界的発明をした同胞の努力に、文字どおり優越感にひたったのであった。
なお、この公開は約2時間ごとにIBCの会期中の3日間連続して行われ、かなりの成果をあげたように聞いている。
私は翌日、複雑な気持ちでブライトンを後にし、陸路バスでロンドンに向かった。一つはこの会場で会えなかったBBCのレガット氏を訪ねることと同時に、英国政府が近く公表するという新しい放送政策(放送法の改正等)を知るためであった。
2日後、イギリスを離れて次の目的地パリに向かったが、何とたとえてよいか、言いようのないむなしさと複雑な気持ちで一杯だった。一体ハイビジョンの行方は今後どのように展開するのだろうか。NHKが10年以上も前から「次世代の」というか、テレビの終着駅として開発したテレビ新技術が、国際舞台に立ってみると、民族的考えの違いはあったにしても、なぜこのような仕打ちを受けなければならないのだろうかという疑間であった。
(第179回に続く)
阿川 秀雄
阿川 秀雄
1917年(大正6年)~2005年(平成17年)
昭和11年早稲田大学中退、同年3月、時事新報社入社、以後、中国新聞社、毎日新聞社等を経て通信文化新報編集局次長。昭和25年5月電波タイムス社創立。
本企画をご覧いただいた皆様からの
感想をお待ちしております!
下記メールアドレスまでお送りください。