実録・戦後放送史 第179回
「ハイビジョンを巡る国際動向⑪」
第5部 テレビの進化
今回(一九八八年)のイギリス・ブライトンでのIBC(放送コンベンション及び機器展)の視察を振り返ってみると、欧米の技術者たちが、極東の小国である日本人に先を越されたとする反発から「日本の発明品」を捏ね回したあげく、走査線や画素の数を変え、さらに送信の方式をデジタルにして「これが我が国の開発したHDTVである」と豪語する態度にも許せぬものを覚えた。
また日本人の〝外交的手段〟にも問題があったような気もする。
しかし、現実はもう取り返えしのきかないところにまで進んでいってしまった以上、日本は日本としての道を歩く以外に方途はないだろうと考えると、気分転換もできた。しかもまだ国際規格化への道が残っているではないかと。
私は帰国するとすぐハイビジョン推進論者である中山郵政大臣に面会を求めた。
「大臣、一日も早く日本国としてのハイビジョン方式を決める必要があります。それが世界世論の誘導にもなるのではありませんか。行政としても自らCCIRにはたらきかける必要がありますよ」と訴えると同時に、あらためて各国の動きなどを詳しく説明し、併せて国内メーカー等のハイビジョン普及に賭けつつある熱意をも付け加えたのだった。
それから間もなく郵政省は、日本のハイビジョン方式をMUSE方式とすることを決め、その走査線(一一二五本)になぞって十一月二十五日を「ハイビジョンの日」とするなどの方針を決めた。
「高精細度テレビジョンに関する送信の標準方式」として郵政省令が施行され、さらにハイビジョン推進協会に対し一日八時間の試験放送を許可したのは、一九九一年(平成三年)のことである。
一方、国際舞台においては、一九九二年MUSE方式がCCIR(国際無線通信諮問委員会)で勧告第786として承認された。さらに翌九三年(平成五年)国際電気通信連合(ITU)は、日本の一一二五/六〇方式を正式に国際標準として承認している。ここに日本のハイビジョンは国際的標準として正式に認承されたわけである。
ただ、今後の問題として「アナログかデジタルか…」の問題は残っている。たとえばアメリカや欧州がデジタル方式だから、将来、国際的紛争の火種となる憂いがある、という人がいる。確かに、そうした見方もあろう。しかし、日本のように、すでに巨額の研究開発費を投じ、関係者が「これで行く」と決めたアナログ方式に、急に待ったをかけるのは暴挙というほかにない。すでに多くの市民の手に渡っている現行MUSEハイビジョンを止める権利が誰にあるだろうか。(第180回に続く)
阿川 秀雄
阿川 秀雄
1917年(大正6年)~2005年(平成17年)
昭和11年早稲田大学中退、同年3月、時事新報社入社、以後、中国新聞社、毎日新聞社等を経て通信文化新報編集局次長。昭和25年5月電波タイムス社創立。
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