放送100年 特別企画「放送ルネサンス」中間考察

電波タイムス社顧問 大橋一三
中間考察① さん
中間考察①さん インタビュー
「放送はネットにバトンを手渡したのに、その後の役割を見出せていない」。今回の連載で、東京大学教授の宍戸常寿さんは、放送の置かれた現状を端的に指摘した。そこには、100年を経て、その役割を終えたということではなく、放送は、ネット時代の新たな役割を自ら考え改革すべきだというメッセージが込められている。
今回の当紙の連載の狙いは、放送100年の振り返りよりも、ネット全盛の現代社会において「放送は役割を果たしているのか」、100年を経て「この先、どういう役割が求められ、どうあるべきか」を問うことに重点を置いた。
<放送の使命達成は「道半ば」>
一口に「放送」と言っても、「コンテンツ制作集団としての放送」「報道機関としての放送」「システムとしての放送」それに「地域における放送」など、人により思い描くものは異なる。どこに重きを置くかによって考え方も変わる。
このうち、「コンテンツ制作集団」「報道機関」としての放送については、インタビューの中で、「ネット空間と比べ情報やコンテンツの信頼性や質は高くネット時代にこそ、必要だ」と評価する声が多かった。この先の情報社会においても、放送は、ジャーナリズムの担い手として、質の高いコンテンツ制作集団とし期待されている。
しかし、現在の放送については、「視聴率しか評価基準がなく劣化している」「忖度があり、政治との距離において萎縮している」等々の厳しい批判も多く聞かれた。100年を経てもなお、期待される放送の使命達成は道半ばと見るべきだろう。
また、今のテレビ離れについても、以前からの課題であり、ネットの台頭のみに原因を求めるのは間違いで、選ばれるコンテンツの追求を怠ってきたと指摘する声が多かった。
<放送はネットとどう向き合うか>
次に放送波を使った「システムとしての放送」については、「ネットにシフトするのは当然」とする意見から、「ネットとは一線を画すべき」まで、意見が分かれた。
「放送波、ネットを問わず、放送が届かない人にも、その価値を届けるべき」とする意見は、今の放送局のネット対応の基本的スタンスでもある。「伝送路中立」とも言われる考え方だ。
加えて、「ネットの双方向性を利用し視聴者に寄り添う存在に変わるべき」(旗本浩二)「放送とネットが補完しあい新たなメディアに」(青木貴博)などと、ネット時代に対応し放送は積極的に進化すべきとする意見もあった。
一方で、今後の情報空間の健全性確保や、国の危機管理のうえから、放送をネットとは区別したシステムとして残すべきとする意見もある。「放送は当たり前にある環境の一部として、人為的にも残すことが健全な情報社会に必要」(濱田純一)、「放送はネットに比べ圧倒的にエコでありSDGsの現代にこそ評価されるべき」(鈴木茂昭)などという意見だ。
また、システムの維持が経営的に困難に直面していることを受けて、「国の関与も含めて放送の維持は考えるべき」(濱田・松本正之)としたのは印象的だ。日本固有の自前の情報プラットフォームである放送ネットワークを、今後の情報社会にどう位置付けるかは、将来の国のあり方とも関係する課題だ。
<ネット時代にこそ放送の「ちから」>
また、各人にほぼ共通したのは、放送には「ネットには無い強みがある」ということだった。その一つは、「リニアな総合編成」だ。放送局が自ら選択した情報やコンテンツを一方向で流す放送の基本的機能であり、「放送の限界」とも考えられていたこの機能が、個人の嗜好に囚われるネットのフィルターバブルなどの情報偏向に対抗し、視聴者に多様な気付きを与えるとして改めて評価されている。
また、情報の正確性や番組の多様性、また、その質が求められる放送の存在は、フェイクや生成AIなどで起きる情報混乱に対し、相対的な信頼を維持する。「玉石混交のネットの世界から、いずれ放送が頼りにされる」(小松純也・松本正之)とする見方も示され、この先の放送の位置づけを考えるうえでの重要な指摘と言える。放送法で規律され、多くの人から「信頼にたる存在であるべき」と厳しく見られてきたことが、ネット時代には、放送の強みになるということだろう。
さらに、「頼りになる地域情報の担い手は地方局と地方新聞しかなく、SNSに任せておけばよいとはならない」(原真)として、地域密着の放送局をどう残していくのかという地域の視点も、放送全体を論じるうえで欠かせない。
<「公共メディア」としの道筋見えず>
多くの人にとってネット利用が当たり前になり、放送局自らが、ネットも本業とする公共メディアを名乗るようになった今、ネット抜きにメディア社会は語れない。「どうしても伝えたいことを、どうしても伝えたい人に届けるには、どうすべきか、もっと研究すべきだった」(熊田安伸)との指摘は、公共メディアに転換した放送界への素朴かつ重い問いかけだ。
「放送が、そのままネットに出ていくだけでは経営につながらない」(奥村倫弘)と指摘するように、単にネット展開すえれば展望が開けるわけではない。その意義と目的を明確に定め、具体的サービスの形として早急に示すことが求められる。このままでは、「視聴率」が「アクセス数」に置き換わるだけで、ネット独特の文化に放送が埋没するリスクさえ考えられる。
100年にわたり築いてきた「放送の力」の何を守り究めていくのか、ネットも手掛ける公共的メディアとしてどう進化し、どのような役割を果たしていくのか。その道筋はまだ見えない。今回のインタビューは、この先の放送のあり方を考えることは、ネット時代における健全な言論・情報空間のグラウンドデザインを描く作業でもあり、社会的課題でもあることを強く印象付けるものとなった。
◆
最後に、この連載中に起きた、フジテレビを巡る一連の問題にも触れておく必要がある。自戒の念も込めて言えば、背景にある放送界独特の経営体質は、個社の問題ではなく放送界全体に共通する問題だと感じている。
今回のインタビューで、元NHK会長の松本正之さんは、会長時代を振り返り「放送にとって最も大事なのは信頼だ。どんな取り組みを進めようと最後は信頼に戻る」と話した。しかし、放送界では、「制作現場の働き方」、旧ジャニーズ問題に見られた「放送局とプロダクションやタレントとの関係」、今回、指摘された「人権やコンプライアンス意識」、さらには、「政治との距離」など、経営のあり方が問われる事案が相次ぎ、放送の信頼は揺らいでいるように見える。
これらは、100年を経過した放送の劣化ではなく、以前からある放送界独特の取引慣行や労働慣行、経営慣行によるところが大きい。放送技術は大きく進化したが、古い経営体質は温存され、いつの間にか社会常識からかい離してしまったのではないか。
「視聴率さえ良ければ制作のプロセスは問わない」「放送は特殊な仕事で何でも許される」そうした企業風土や驕りはなかったか。それを黙認してきた経営の不作為はなかったか。
放送界全体が、この機会に、こうした古い企業風土や経営体質を抜本的に改め、放送の「信頼」を取り戻さない限り、どのようなネット展開を図ろうと、健全な情報空間の構築に貢献することは難しい。
(元NHK理事)
この記事を書いた記者
- 主に行政と情報、通信関連の記事を担当しています。B級ホラーマニア。甘い物と辛い物が好き。あと酸っぱい物と塩辛い物も好きです。たまに苦い物も好みます。
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(敬称略:あいうえお順)