【放送ルネサンス】第50回:神保 哲生さん(日本ビデオニュース代表)
日本ビデオニュース代表
神保 哲生 さん
神保哲生(じんぼう・てつお)氏。1961年11月生まれ。桐蔭学園中学校入学後、渡米してニューヨーク州のストニーブルックスクールに編入。コロンビア大学入学後、日本の国際基督教大学(ICU)を挟んでコロンビア大学ジャーナリズム大学院修士課程修了。AP通信等の記者を経て独立し、現在は日本ビデオニュース代表取締役、ネットメディア『ビデオニュース・ドットコム』代表。ICUラグビー部監督を兼務。
神保 哲生さん インタビュー
Contents
- 1 ―ご自身と放送との関わりについてお聞かせください。
- 2 ―その後、ご自身もビデオの世界、そしてインターネットへと活動の場を移されました。その経緯はどのようなものだったのでしょうか。
- 3 ―長年、放送とネットの両方の最前線にいらした立場から、日本の放送メディアが果たしてきた役割、そして抱えている課題をどう見ていますか。
- 4 ―具体的な「経営努力」や「コンテンツの見直し」とは、どのようなものを指すのでしょうか。
- 5 ―NHKもインターネット配信に力を入れていますが、こうした動きについてはどうご覧になりますか。
- 6 ―政治家がSNSで直接発信し、メディアを介さない場面も増えています。フェイクニュースの問題も含め、これからの時代におけるジャーナリズムの役割をどう定義すべきでしょうか。
―ご自身と放送との関わりについてお聞かせください。
私は放送局の社員として所属したことは一度もない。もともとはペン記者であり、アメリカの大学院を出た後、AP通信の記者をしばらく務めていた。記者になった1987年は、メディアが大きく変わり始める入り口のようなタイミングだった。
決定的な転換点は1990年の湾岸戦争だ。当時、まだ認知度の低かったCNNが、バグダッドに唯一の西側メディアとして残り、ピーター・アネット記者がパラボラアンテナを自ら広げてリアルタイムで発信を続けた。爆撃の様子がインベーダーゲームのような映像でリアルタイムに流れる光景は、通信社の記者にとって衝撃であり、屈辱でもあった。それまで有事の報道は通信社の独壇場だったが、一気に報道の主導権がテレビへと移るのを肌で感じた。
当時、活字メディアの人間はテレビを「画を撮るだけで、中身は通信社の原稿の二番煎じだ」と馬鹿にしていた側面もあった。しかし、現場からお茶の間へダイレクトにアクセスできるテレビの力は、インターネットがなかった当時、圧倒的だった。私はこの時、自分が携わっている活字メディアがいずれ陳腐化することを予感した。
―その後、ご自身もビデオの世界、そしてインターネットへと活動の場を移されました。その経緯はどのようなものだったのでしょうか。
AP通信では数年ごとに特派員をローテーションさせる決まりがあったが、私は日本での取材を深めたいと考え、1993年にフリーランスになった。
湾岸戦争の経験から「これからはビデオがなければダメだ」と確信していたが、ちょうど技術革新が起きていた。ソニーのVX1000という小型デジタルカメラが登場し、記者一人が持ち運べるサイズで、テレビ放送に耐えうる画質の映像が撮れるようになった。
1995年、私は「ビデオジャーナリスト」と名乗り始めた。記者自身がカメラを回し、取材・撮影・原稿執筆・編集までを一人で行うスタイルだ。当初は『ニュースステーション』などで長尺の特選レポートを制作し、同時にアメリカの公共放送PBSやABCの『ナイトライン』向けにもドキュメンタリーを供給していた。
その後、1997年には共同通信やダウ・ジョーンズ、住友商事などとのジョイントベンチャーで、CS放送のビジネスニュース局「CNBCジャパン」の立ち上げに参画した。しかし、当時経済ニュースチャンネルは日経やブルームバーグとの競合もあり、ビジネスとして黒字化するのは容易ではなかった。日経とのチャンネル統合を機に資本を引き揚げ、その資金を元手に1999年11月、インターネット放送局「ビデオニュース・ドットコム」を開始した。当時はまだブロードバンド以前の無謀な挑戦だったが、それから25年以上、インターネットという場で発信を続けている。
―長年、放送とネットの両方の最前線にいらした立場から、日本の放送メディアが果たしてきた役割、そして抱えている課題をどう見ていますか。
テレビや新聞が果たしてきた功績は大きいが、メディアの本質を理解するには、グーテンベルクの活版印刷まで遡る必要がある。活版印刷はコンテンツの拡散力を爆発的に高めたが、紙である以上、最終的なデリバリーは常に「手渡し」という物理的な制約を抱えていた。
メディアにとって最大の特徴であり、同時に弱点でもあったのが、この「伝走路」の希少性だ。テレビ放送には膨大な設備投資が必要であり、周波数は限られている。この伝走路の希少性が参入障壁となり、伝走路を持つ一握りの事業者が自動的に「メディアの主」として振る舞える時代が長く続いた。
しかし、本来コンテンツ制作と伝走路の管理は別物だ。日本では放送法などの制約もあり、放送局の承認なしには伝走路を使えない仕組みが固定化された。制作会社がどれほど優れた番組を作っても、放送局の名前が入らなければ世に出せない。この「伝走路の独占」こそが、オールドメディアの権力と利益の源泉となった。
それがインターネットの登場によって、伝送路が事実上「無限化」し、ビッグバンが起きた。誰でも発信できるようになり、かつての独占体制は崩壊した。既存メディアは、この「ニューノーマル」への適応を迫られている。

―既存メディアが「ニューノーマル」に適応できていない最大の原因は何だと思われますか。
一言で言えば、「普通の産業」として競争してこなかったことだ。放送局は、免許という形で政府から電波を「もらった」特権的な存在であり、他社の参入が制限された寡占・独占状態で守られてきた。経営努力や創意工夫をしなくても利益が出る、極めて特殊な環境にいたのだ。
例えば新聞社も、記者クラブや政府からの土地の払い下げ、再販価格維持制度等によって実は手厚く守られてきた。こうした特権的な地位に甘んじてきた結果、記者たちは「自分たちが報じないニュースはニュースではない」という傲慢な意識を持つようになった。しかし今や、現場にたまたま居合わせた一般人のSNS発信の方が、記者の記事よりも早く拡散し、バズる時代だ。
今、テレビや新聞に求められているのは、自分たちがこれまで実力で勝ち残ってきたのではなく、制度に守られてきたのだという現実を直視することだ。特権意識を捨て、他のあらゆる産業が当たり前に行っているような経営努力、つまりマーケットの分析やコンテンツの抜本的な見直しをゼロベースで行わなければ、衰退の一途をたどるだろう。
―具体的な「経営努力」や「コンテンツの見直し」とは、どのようなものを指すのでしょうか。
まず、現在の放送内容が本当に社会の要請に応えているかを精査すべきだ。例えばBS放送を見れば、多くの枠がショップチャンネルに切り売りされている。電波という公共の財産を、ただ商売のために切り売りしているような状態だ。地上波でも、昼間の時間帯に通販番組が堂々と流れている。何もしなくてもお金が入ってくる構造に依存し、コンテンツへの投資を怠っている。
また、「マス」という概念の消滅を認識すべきだ。かつて「マス」が存在したのは、新聞とテレビという強力な「蓋」があったからに過ぎない。ネット時代になり、受け手の嗜好は細分化されている。それにもかかわらず、テレビ局はいまだに「全世代に受けるもの」を作ろうとして、中途半端な内容になっている。
これからのヒントは「推し」のビジネスモデルにある。最近の地下アイドルグループが、テレビに一切出なくても武道館を一杯にし、高額なファンイベントで莫大な利益を上げている事実は示唆に富んでいる。ファンという特定層に対し、適切な価値を提供して適正な対価を得る。これはマスコミ的な「薄く広く」の発想からは生まれない。
例えばCS放送でも、特定チームの全試合を中継するチャンネルは、熱狂的なファンからのサブスクリプション収入で十分に成立している。ラグビーのような必ずしもメジャーとは言えない競技でも、関心がある層は月額数千円を払ってでも専用チャンネルを見る。こうした「メジャーデビュー」や「マス」という言葉からの卒業こそが、生き残りの鍵になるはずだ。
―NHKもインターネット配信に力を入れていますが、こうした動きについてはどうご覧になりますか。
NHKのネット展開を見ていると、結局は「ネットからも受信料を取りたい」という発想が先行しているように見え、危うさを感じる。企業理念として「ネットだからこそできる貢献は何か」という視点から出発していなければ、成功は難しいだろう。
ネットの視聴態様はテレビとは全く異なる。ザッピングのスピードは桁違いだし、基本的には「ながら見」だ。テレビと同じ発想で制作された長尺のコンテンツをそのままネットに置いても、マーケティング的には不十分だ。
また、NHKや民放を含め、既存メディア出身者の能力についても懸念がある。彼らは、記者クラブや潤沢な予算、機材、スタッフという「揚げ底」がある環境でしか力を発揮できないことが多い。ネットの世界では、一人で取材し、カメラを回し、編集し、価値判断を下さなければならない。特権的なプロテクションを失った途端に使い物にならなくなる「サラリーマン記者」が、ネットという戦場で生き残るのは非常に困難だ。
―政治家がSNSで直接発信し、メディアを介さない場面も増えています。フェイクニュースの問題も含め、これからの時代におけるジャーナリズムの役割をどう定義すべきでしょうか。
ネットは規制のない「ジャングル」であり、ポピュリズムが横行しやすい。しかし、既存メディアがそれに対抗するために「規制を強化すべきだ」と叫ぶだけでは解決にならない。むしろ、既存メディアが持つ「信頼」や「公共性」を武器に、ネットという主戦場で勝負すべきなのだ。
かつて私の師であるフレッド・フレンドリーは、メディアには「関心領域」と「影響(公共)領域」という二つの円があると説いた。商売としては、人々が関心を持つこと(ゴシップなど)を報じるのが手っ取り早いが、ジャーナリズムの使命は、社会に影響を与える「公共性の高い事象」を報じることにある。
メディアの真の力は、人々の「関心」を「公共」へと繋ぐ「需要創出能力」にある。今は誰も関心を持っていない難しい問題でも、伝え方を工夫し、フックを作ることで、人々の関心の対象へと変えていく。これがメディアにしかできない仕事だ。
メディアは「公共的な情報がいかに自分たちの生活に関係しているか」を説き続け、市場を自ら創り出さなければならない。誰もが関心を持つことだけを流すのは、単なる情報産業であってメディアの役割ではない。
既存メディアには、これまでの蓄積や信用というアドバンテージがある。それを維持するための「利権」に固執するのではなく、新しい環境で「普通の産業」として自らを律し、社会的な責務を果たしていくこと。それが、次の100年に向けた唯一の生き残り策ではないだろうか。
この記事を書いた記者
- 主に行政と情報、通信関連の記事を担当しています。B級ホラーマニア。甘い物と辛い物が好き。あと酸っぱい物と塩辛い物も好きです。たまに苦い物も好みます。
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