【放送ルネサンス】第47回:山口 毅さん(野村総合研究所 プリンシパル)

山口 毅

プリンシパル

山口 毅 さん

山口 毅(やまぐち・たけし)。1977年生まれ、東京都出身。2002年3月慶應義塾大学大学院理工学研究科修了。同年、野村総合研究所に入社。放送・メディア業界、通信業界における事業戦略・サービス戦略立案、マーケティング戦略立案などの調査・コンサルティング業務に従事。入社後から、放送・コンテンツ分野に関わり、番組審議委員会委員等放送業界における取り組みも務めている。

山口 毅さん インタビュー

「放送」「ネット」のハイブリッドモデルの構築が急務

2025年12月12日

 

―ご自身と放送の関わり

 子供のころ、親の仕事の関係で海外にいて、アニメを中心に日本のコンテンツをよく視聴していた。ただ、当時はコンテンツが限られていたため、帰国後は、その反動もあって、テレビをよく見ていた記憶がある。
 野村総合研究所(NRI)に入社した頃は、多チャンネル業界の仕事が多く、その後は、BS放送参入の支援やモバイル放送の立ち上げ支援など、放送に関わるプロジェクトも出てきた。2010年頃になると、コネクテッドTVや動画配信サービスに関する仕事が増え、当時のキーワードでいうと、パーソナライゼーションとかデータ活用、セカンドスクリーンなどをベースにしたプロジェクトにかかわる機会が多くなった。
 いくつか印象に残っている取り組みがある。たとえば、民放の方々と海外の放送局や政府機関に訪問し、海外の放送局の取り組みを現地で確認する機会があった。当時、民放の方々が、当事者意識をもって、日本でも取り組みを進めなければいけないと言っていたことが、非常に印象に残っている。
 また、10年後、20年後を見据えた未来予測を行い、将来の危機に備えるプロジェクトをいくつか実施してきた。その際の、将来に向けた議論は盛り上がり、今でも記憶に残っている。
 しかし、総括的に振り返ると、そのときの危機感が、その後の放送局の具体的な動きにつながったかというと、大きな変化は起きてこなかったように感じる。
 ただ、現在は、当時と比べ環境も大きく変わり、危機感や問題意識を語る人も増えている。中身のある具体的なアクションに結びつくことを期待している。
 

―放送開始から100年、放送の位置づけや果たしてきた役割は

 放送は社会インフラとして、文化形成・世論形成・民主主義の基盤を担ってきた。大きな災害、阪神の大震災や東日本大震災などが起きるたびに気づかされるが、緊急時の報道や情報伝達手段として、民放もNHKも公共財に近い存在として、その役割を果たしてきたと思っている。
 また、高度成長期には、家族がテレビの前に集まり、放送を通じて国民的体験を共有(紅白、東京五輪など)してきた。社会全体で共有できる出来事や体験を「国民的記憶」として想起させる役割は絶大だったと思う。「同じ時間に同じものを体験する」ことができる仕組みだからこそ共通の記憶を生み出せた。視聴者数が限定的だったり、タイミングがバラバラなネットや配信サービスでは、なかなか難しい。
 

―放送の現状における課題や問題点について

 放送が果たしている使命や役割は、公共的インフラとしての信頼性、正確性であり、地域、ローカルにおける支えでもあると思う。特に災害報道とか選挙報道においては、今も揺るぎない役割を果たしていて、社会の「最後の砦」になっている。偽情報が氾濫するインターネットに対して、チェック済みの情報を届ける存在として一定の信頼がまだあると思っている。
 今後も、そうした検証した情報のリファレンスとしての役割の重要性は変わらず、SNSとかネットが利用される社会では、ますます重要で大切なものになっていくと思う。 
 また、地域社会においても、ローカル局が地域ニュースとかイベントを伝えることで、地元のつながりを保つ役割を担っていくのではないかと思う。
 一方で、若い方々を中心にテレビ離れが進み、国民全体に届けるという、これまでの強みが弱くなってきていることも事実。視聴者の分散とリーチ力の低下は現実に起きている。その結果、「同時に見て話題にする」機会も減少し、国民的記憶を生む力が弱まり、共通体験の希薄化が起きている。また、広告費がデジタルシフトし、従来のスポットタイム枠の収益性が低下し、ビジネスモデルが揺らいでいることも事実。収益面でも、放送の持続可能性は議論が必要だ。
 さらに、放送の制作現場では、人材不足と働き方改革の狭間で、品質の高いコンテンツを維持することが難しくなってきている。人材や制作体制の疲弊であって、この問題に対しては、他の産業における取り組みの方が圧倒的に進んでいる。放送界でも早急に取ンテンツを維持することが難しくなってきている。人材や制作体制の疲弊であって、この問題に対しては、他の産業における取り組みの方が圧倒的に進んでいる。放送界でも早急に取り組むべき問題である。
 ネットの世界、特に配信事業者と比べると、国内放送局や制作会社は、DX化が進んでいない。それは、現場が強すぎるとか、うまくいっている状況を変えたくない、といった意識が放送界では強く、意識改革ができていないことが理由として挙げられる。デジタル競争での遅れは、将来的な競争力にもつながる。考え方の柔軟な若い人を積極的に登用することで、現場におけるDX化を推進させていくことも必要だ。
 つまり、放送の強みは残っているが、世の中の変化に追いついていけなければ、役割は小さくなっていかざるを得ない。空気(インフラ)のような存在だった放送は、選択してもらわなければならない存在へと変化してきている。
 そのため、選ばれ続ける存在になるためには、信頼性、正確性を維持しつつ、時代に合った取り組みをしていかないといけない。
 

―確かに放送界の古い体質が、放送の信頼を損なう事例も出てきている

 放送界には「自分たちは唯一無二」との無自覚なおごりがあり、それが問題だと思う。狭い世界でビジネスをしてきたため、感覚や意識が一般業界と異なるところがある。また、広告主・代理店との関係性に依存してきた構造にも起因するのではないか。
 この面でも意識改革が必要で、このところの事件や問題をきっかけに、外部の衝撃が議論を促す契機になって、業界の再構築や方向性議論が進んでいくのではないかと期待している。放送界も、今後は、社員教育や業務運営で「制約と責任」を自覚する必要がある。

 

――インターネットの普及で放送は終焉する意見もあるが

 確かに、我々の周りでもよく聞くし、我々も従来から、今までの放送は既に時代から取り残され終焉が近いなどといった趣旨の発言をすることもある。
 ただ、その意図は、放送は終わるわけではなく、今の形にとどまっていてはいけないということを伝えたいということだ。しかし、正直に言って、現状のままでは厳しい。若い方々を中心にテレビ受信機を持たず、放送波では接触できない状況が急速に進んでいるなかで、放送局によっては、配信を強化する動きやコンテンツ制作・IP獲得にシフトしていく動きもある。視聴者とのコンタクトポイントを増やそうという考え方や、番組というコンテンツ分野に重点を置いていこうという考え方だろう。
 

――それも選択肢ということか

 いずれの考え方もあると思う。一方で、視聴者との関係性をID活用によって強化していくというBBCのデジタルファースト戦略は参考になるのではないか。放送波の強みを捨ててコンテンツ屋になるのではなく、放送波では拾いきれない部分をデジタルで補って、全体としての価値を再構築していくという考え方だ。
 放送波は、社会の共通的なプラットフォームとして存続させ、デジタルは個別最適の接点として生かすという、BBCはその両輪を再設計していると捉えることができる。アメリカや韓国でも、ローカル局が顧客接点を増やすためにアプリを活用し、地域情報を展開していくとか、視聴体験を放送とネットを組み合わせて実施するなど、放送と通信を両方させる取り組みが進んでいる。方向性としては放送の強みがある限り正しい方向だと思う。
 放送は、社会全体をつなぐ、〝ナショナルプラットフォーム〟といった役割があり、誰もが参加でき、信頼された、あるいはチェックされた情報が提供され、世代や地域を超えて同時に共有されるようなプラットフォームだ。
 一方、グローバルプラットフォーマが台頭している、ネットにおける、〝パーソナルプラットフォーム〟は、個々人に最適化された、プラットフォームで対比的な存在だ。日本の放送局は、どちらかというと個別最適化を強化しようとしているが、そういった個別最適化された情報環境を補完し、全体を最適化するプラットフォームも必要ではないかと思う。放送は、信頼性、正確性の最終的な砦であり、地域・世代間の共通体験を維持する場、つまり社会をつなぐ共通基盤の役割として、「公共的接着剤」のような役割がある。地域が違う人たちをつなぐ、世代が違う人たちをつなぐ、そういった役割もあるはずだ。
 

―では、この先、放送のあるべき姿、そしてインターネットとの関係は

 先ほど話したように、放送は、災害とか選挙とか公共情報を安定的に届けるインフラであり続けるべきであり、新しいテクノロジーと組み合わせ、進化する必要がある。ネットが「個人をつなぐもの」なら、放送は「社会をつなぐもの」であって欲しい。
 娯楽や一般的なニュースはネットに移っても、社会全体が共通で知らなくてはいけない情報や、国民的体験の領域は放送が依然として重要だ。その意味で、放送とネットの関係は、放送がネットに置き換わるといった単純な置き換えにはならない。
 ネットと放送は、「競合関係」ではなく「補完関係」にある。両者を組み合わせることで、社会的インフラとしての厚みが増す。補完関係を意識した戦略的連携が重要だ。
 例えば、コンテンツ流通モデルのハイブリッド化を進め、放送はコンテンツ展開時に「打ち上げ花火」的役割を担い、ネットは、ロングテール的に拾い上げるなど、計画的に両者を組み合わせ、ハイブリッドモデルを設計すべきではないか。
 また、ビジネスモデルとしても、ID連携やクロスメディア測定は今後さらに重要になる。アメリカや英国では、スマートTVデータとパネルデータを統合し、放送とネット広告を一体的に測定している。こうした統合されたデータは、広告主や視聴者に価値を提供する。日本も業界全体での取り組みが議論されるべきであり、新たな仕組みづくりが必要だ。
 

―最後に今後の放送へ提言を

 繰り返しになるが、放送の持つ価値は捨てるべきではない。放送だけが担える役割は依然存在するはずだ。ただし、現状のままでは、放送の生き残りは厳しいことも事実だ。インターネットを上手く活用する必要がある。
 その時、放送とネットは競争ではなく、補完関係で、放送の「共通体験」とネットの「個別最適化」を両立させるハイブリッドモデルを構築することが急務だ。ビジネスが“量”から“質”へとシフトしている中、データ連携・クロスメディア測定など新たな仕組みで放送の価値を強化する。
 放送局自らが、戦略的にネット拡張を進めることが将来の生き残りの鍵になる。そのためには、「放送とは何か」という定義自体を変えるくらいの意識改革が必要だ。
 また、技術の進化やネット利用の拡大で、放送不要論もあるが、実際には、ネットの操作が難しい高齢者や、ネット弱者などの問題もあり、全員が確実にネットにアクセスして、情報を気軽に収集できる時代はまだ来ていない。
 今後しばらくは放送の必要性は残ると考えられるが、逆に猶予はそれほどないと考えてよいと思う。
      

この記事を書いた記者

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成澤誠
放送技術を中心に、ICTなども担当。以前は半導体系記者。なんちゃってキャンプが趣味で、競馬はたしなみ程度。
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