【放送ルネサンス】第46回:辻 泰明さん(東京科学大学特任教授)

辻 泰明

東京科学大学特任教授

辻 泰明 さん

辻 泰明氏(つじ・やすあき)。1957年生まれ。東京都出身。博士(情報学)。東京大学卒業後、NHK入局。ドラマ部等で、番組制作に従事。主な担当番組はNHKスペシャル『映像の世紀』同『パールハーバー・日米の運命を決めた日』同『幻の大戦果 台湾沖航空戦の真相』ドキュメンタリードラマ『宮沢賢治・銀河の旅びと』定時番組『その時 歴史が動いた』等。編成局異動後、インターネット展開、携帯端末向け番組開発、オンデマンド配信等を担当。NHK退局後、筑波大学教授を経て、現東京科学大学リベラルアーツ研究教育院特任教授。主な著書は『映像メディア論』『インターネット動画メディア論』等。

辻 泰明さん インタビュー

新しいものを果敢に取り入れて挑戦を

2025年11月28日

 

―自身と放送との関わりについて

 映画を学ぼうと思ってフランスに行っていたが、就職しなければならなくなり、帰国して映画と同じ映像メディアであるテレビを仕事に選び、1982年にNHKに入局した。当時はちょうど、テレビの爛熟期で、現場は、「夢の工場」と呼ばれた華やかさに満ちており、ディレクターは、新しいことに挑戦できる仕事だった。ENGなど新技術の導入が進む一方、フジテレビの「楽しくなければテレビじゃない」が始まった時代で、各局のコンテンツでも教養の娯楽化が生じ、民放でも「なるほど!ザ・ワールド」や「ニュースステーション」といった新機軸番組が次々に生まれていた。そんな激動の時代に、ドラマ、ニュース、ドキュメンタリーとさまざまな部署に所属してテレビの色々な可能性を体感できた。その後、インターネット関連業務に携わってメディアの転換を現場で目の当たりにしてきた。具体的にはインターネットの広報展開や携帯端末向けサービス、NHKオンデマンド配信の担当などメディアがテレビからインターネットに移り変わっていく状況を現場で目の当たりにしてきた。入局当時は、フィルムでの取材や編集が残っていたことを思うと、自分は本当に劇的な変化の只中にいたのだと改めて感じる。
 

―まさに過渡期を現場で見てきたということか

 放送だけでなくマスメディアは、グーテンベルクの活版印刷術の普及から500年くらいかけて発展してきた。
 今起きていることは一方向のマスメディアから多方向のメディアであるインターネットに変換していくような大きな転換期だ。メディア史でも人間のコミュニケーションの歴史の中でも転換点だと考えられる。
 

―放送の果たしてきた役割について

 放送法制定以前の功績に目を向けると、ベルリン・オリンピック中継や玉音放送など、歴史に残る放送が幾つもあるが、ここでは、さらに三つ挙げる。
 一つは、戦前のラジオが果たした功績。1925年に日本でラジオ放送が始まった時の「第一の目的」は「文化の機会均等」だった。ターゲットは家庭にいる女性たち。進学の道を閉ざされていた女性たちに学術に触れる機会を提供しようという趣旨。そのために女性プロデューサーが招聘されて女性向け教養番組が編成された。ただし、戦時中は途絶えてしまった。
 二つ目は、戦後、GHQによる統制のもとで、社団法人日本放送協会に婦人課が設置され、新たに女性プロデューサーが登用されて、再び多くの女性向け教養番組を放送したこと。女性プロデューサーたちは、時には占領軍の監督機関に抗いながらも、独自に、女性解放の「お手伝い」をすることに献身した。
 三つ目は、戦後の放送記者による独自取材の開始。戦前、戦中は、社団法人日本放送協会のニュースは、新聞社などから送られてきた原稿を読むだけで、独自の取材は行えなかった。その反省の上にたって、全くのゼロから独自取材の道を切り開いた。そして、放送の同時性と速報性を生かす報道を始めた。
 これら三つのことは、今日、あまり語られることがないが、戦前から戦後にかけて、放送法制定の前にも、いろいろな制限や悪条件のもとで、少なからぬ人々が努力してきたことは、放送百年にあたって改めて評価すべきと考える。
 その後の発展と功績は、多くの方々が語っているとおり。戦前にも娯楽(慰安放送と呼ばれていた)はあったが、放送法制定と同じくして商業放送(民放)が登場し、ほどなくしてテレビ放送が開始されるとプロレス中継や野球中継などが起爆剤となって、娯楽のメディアとしても映画に取って代わった。
 

―放送の同時性が人々の価値観に合致した昭和期と平成期以降における価値観の変化への不適合について

 映画や新聞にはない放送の特質は、同時性と速報性。
この特質が、戦後、高度成長で生活の向上と平準化をめざした時代の価値観に合致した。一億総中流化といわれた時代だ。テレビは、その時代、茶の間の「第五の壁」となって、皆が同じものを決まった時間に見る生活を生み出した。「8時だョ!全員集合」という番組名は、テレビがもたらした視聴習慣を象徴する例だ。テレビは、皆に共通する話題を提供する機能を持ち、小学生は、クラスメートと同じ番組を見ていないと教室で話に加われなかった。
 文化の機会均等から生活の平準化と相まって、そうした日本全体が平均化されていくということで、大きな使命を果たしていたと考える。
 ところが、だいたい1980年代のバブル景気の前後から、人々の生活がそれなりに充足すると、個性重視や多様化が時代の価値観となった。それまで一億総中流というように、みんなが同じものを見る時代から一人一人が好きなものを見る時代への転換が生じたのだ。テレビも、多チャンネル化などで多様化に対応しようとした。しかし、当初は、情報収集のツールにすぎないとみなしていたインターネットが、2000年代半ばのWeb2・0以降、巨大なメディアとなって、個性重視や多様化といった価値観に完璧に適合するサービスを展開し始め、2010年代には動画配信が普及して、テレビに取って代わった。
 テレビからインターネットへの転換は、時代の変化に対して十全に対応できるメディアがインターネットだから生じている事象であり、覆すことはできない。
 その根幹には、インターネットがテレビでは実現困難なレベルの双方向性を持っていることがある。双方向性がもたらす利便性によって、利用者は、自分の好きなコンテンツを好きな時間に選ぶことができる。その上、いわゆるUGC(User Generated Content)といって、利用者自身がコンテンツを提供することもできる。
 15世紀に活版印刷術が普及してからマスメディアは、出版、新聞、映画、ラジオ、テレビと発展してきたが、そこでは、情報の伝播は一方向であり、大規模な資本を有する送り手が常に優位であって、いつ何をどういう風に提供するかは送り手が決めていた。そうしたマスメディアの優位はインターネットによって覆された。伝送路はプラットフォームが提供するが、一般の人々も参加してコンテンツを提供できるようになり、編成の優位性が覆された。今、起きていることは、放送だけでなくマスメディア(マスコミ)全体の凋落であるといえる。

 

―なぜ放送は画一的になっていったのか

 その時代の勝者にはイノベーションのジレンマがあり、主力となっている事業や技術を捨てられない。だからインターネットのように新しくやってきたものにとって代わられてしまう。強者は自分の強みを捨て去ることができない。その結果保守化が進んで守りの姿勢に入り、一見新しいことに挑戦しているようで無難な方へと進んでしまう。
 フジテレビの事件は非常に象徴的で、「楽しくなければテレビじゃない」という時代が本当に終わったと感じる。平成から令和にかけて、いい加減な価値観やハラスメント、相手を傷つけてまで笑いをとるということへの抵抗等があり、そういうことが許される時代ではなくなっているのかもしれない。
 

―放送の現状(放送とインターネットとの関係)について

 マクルーハンは、「いかなるメディアのコンテンツも常に別のメディアのコンテンツである」と述べた。この主張を援用した言い方になるが、「映像メディアでは、前のメディアは後のメディアにコンテンツとして包含される」という自説を持っている。映像メディアは映画からテレビへ、そしてインターネットへと転換してきたが、映画はテレビの一つのコンテンツとなったし、テレビもインターネットの一つのコンテンツになった。
 現在は、テレビもラジオもインターネットへの包含が完了しつつある状況だ。そこでは、テレビもラジオもインターネットで展開されるさまざまなサービスのうちの一つにすぎない。
 

―今後放送が生き残る道はあるか

 映画が無くならなかったように、今後も放送は無くならないと考えられるが、それは、あくまで放送だけが持つ独自の機能においてでしかないだろう。そのことを考察するには、映画でおこったことが先行事例となる。テレビが普及する以前は、映画館でニュース映画を上映していた。企業や自治体の活動を紹介する映画も制作されていた。テレビが普及すると、これらのコンテンツはニュース番組やCMとなってテレビに移り、映画館から姿を消した。では、何が残ったかというと、映画館に出かけることでしか味わえない非日常的な体験としての映画観賞だといえる。映画館は日常から離れた「夢」を味わう場となっている。非日常を題材とするフィクションや一部のドキュメンタリーが主力コンテンツとなっていることも、この観点を裏付ける。
 テレビはどうか。テレビ(およびラジオ)ならではの特性は同時性と「皆に同じものを提供する」同報性にあるから、この特性を生かしたサービスやコンテンツが残るだろう。伝送路としての放送波は一斉同報に向いているから、たとえば、災害報道や国家的事象の中継などは残ると考えられる。問題は、そうして残った放送の機能とインターネットを有機的に結びつけるサービスを展開できるかどうかだ。
 放送ならではの一斉同報とインターネットのミクロできめ細かい情報を組み合わせて提供するようなシステムを構築できれば、新たなメディア企業として存在感を持つことになるだろう。たとえば、災害報道においても、全体状況は放送で共有し、一人一人への対応はネットできめ細かく行うような分業と連携の体制だ。そうした体制の構築には、過去の災害でどういう情報流通がおきていたかを新たな目で検証することも必要になる。
 

―昨今の選挙報道について

 従来は政治と一般の間にはマスメディアがあり、マスメディアがいったん咀嚼してクッションのようになって伝えていた。また、議題提供機能も果たしていた。しかし、今は政治家が直接SNSなどインターネットを介して伝えるようになり、途中にクッションを挟まないようになった。その結果、自分が聞きたいことだけを聞くというエコーチェンバーが生じて分断につながっているともいえる。インターネットと選挙報道については、さまざまな事象が生じており、今後もさらなる展開があると考えられる。
 

―放送への提言を

 時代の価値観は、らせん状に一周回って元に戻ってきている。多様化が極端に進むと分断化が生じる。個々が自分の中に閉じ籠もり、他の価値観を認めなくなる。インターネットがもたらすそうした負の側面も指摘されるようになっている。といって、今のテレビ番組が陥っているような画一化が求められているわけではない。思いがけない知識や情報と出会う「セレンディピティ」という意味での多様性を担保しつつ公共性を確立すべきであり、公共とは何かについてのコンセンサスを得るための議論を活発にする必要があるだろう。また、ポスト・トゥルースの時代に求められる信頼性とは何かについても検討する必要がある。
 この記事の題名となっているルネサンスとは再生という意味。今こそ原点に立ち返る時ではあるが、それは、単なる復古ではない。ヨーロッパのルネサンスが新しい技術を取り入れ、かつ、生み出したように、新しいものを果敢に取り入れていく必要がある。
 今、生成AIが飛躍的に発展し、コンテンツ制作に革命が生じようとしている。この変化をピンチととらえて敵視するかチャンスととらえて活用できるかで運命が変わる。放送がかつてインターネットを軽視した轍を二度と踏まないようにすることが肝心。生成AIを活用する体制をいち早く築いた者が次代の勝者となる可能性がある。
 放送はその黄金時代には常に時代の先端を行き、新しいものを取り入れて、従来にない何かを生み出すメディアだった。新しさは若々しさにつながる。若年層対策の根幹は新しいことへの挑戦にあると考える。

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kobayashi
主に行政と情報、通信関連の記事を担当しています。B級ホラーマニア。甘い物と辛い物が好き。あと酸っぱい物と塩辛い物も好きです。たまに苦い物も好みます。
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